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  • 2022.04.23

ゲームは最後のフロンティアだった 『Apex Legends』脳

ただのゲーム、だからこそ

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Photo by Yukitaka Amemiya

じゃあ音楽はどうなのよ、音楽業界で勝負すればいいんじゃないの? これはこれでまた難しい話なのだが、エンタメでもアートでも、勝ち負けを意識した瞬間に「負けて」しまうのだ。

藤井風が『まつり』で言ったように「比べるものは何もない 勝ちや負けとか一切ない ない ない」のだ。

音楽を比較する材料はたくさんある。それはたとえば歌唱力だったり、表現力だったり、YouTubeの再生回数だったり、ヒットチャートのランキングだったり。

でも違う。実のところあらゆる作品は「設定したコンセプトをどれだけ美しく表現できるか」を競っている。そのコンセプトは作品ごとにまったく異なるから、並べて勝負させることに意味はない。

ちなみに最近の芸術に対する思想は、自分は単なるフィルターであって、目に入る光景から美しさを拾い上げて──時にそれは一見醜かったりする──形にする存在に過ぎない、といった感じである。そこに勝負性は一切ない。ただ、写真を撮っている(比喩)。

だから現実での競争はそこそこにやり過ごして、Apexの世界での競争に没頭している。ゲームの世界は、純粋な優劣がのびのびと駆け回る最後のフロンティアだった

もちろんインターネット環境や機材の良し悪しでの有利不利はあるけど、それは親ガチャなんかと比べるととてつもなく小さい変数だ。無数のライバルと対等に戦えるこの喜びに、気づけば夢中になっていた。

誰にも邪魔されずに自分の弱さと向き合える。漁夫は来るけど。不利なポジションから勝ちきった時、誰のことも気にせずに勝ち誇れる。高ランク帯でチーターに轢き殺されてもこの喜びは色褪せなかった。だって、結局ただのゲームなんだから

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Apex Legends

Apexの上位750人には「プレデター」という称号が与えられるが、プレデターだからって良い企業に就職できるわけじゃないし、ゲーマー以外からは尊敬されることもない。だからいい。膨大な時間を費やして得られるものがただの赤く光るバッジでしかないことが、圧倒的にクールだと思う。

社会的評価や報酬ではなく、勝利そのものを味わうことができるこの空間はとても美しい。ゲームは、単なる手段に成り下がらない。

洗練されたゲームシステム、心地いいサウンドやグラフィック、多様なアビリティを持つキャラクター、あーだこーだ言いながらも遊び続けるコミュニティ……これらの要素からつくられた体験は、この世界に散らばる無数の輝きからひとつの美しさを取り出した芸術に似ている。

成長したい、誰かに勝ちたいという欲望だけを突き詰めたこのフロンティアに、僕は恋している

クリエイター

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