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  • 2020.04.27

究極の「自由」とは何か? 『進撃の巨人』とエレンの運命

『進撃の巨人』の結末とは?

最初に結論を書いておきます。『進撃の巨人』って、エレンが神様になる物語じゃないかなーと思ってます。

「楽園追放」の話をしたときに、善悪の知識の実と生命の実を食べると人間も神様と同等となるという話をしました。

実は『進撃の巨人』って、重要な場面で「樹」が映ることが多いんですよね。

例えば、未だ謎に包まれた1話の冒頭などもそうなのですが、

冒頭.jpg

(進撃の巨人1巻1話より)

決定的だったのは、始祖ユミルが巨人の力を得たシーンです。

生命の樹.jpg

(進撃の巨人30巻122話より)

仮に、これが生命の樹のようなものだとしたら、「座標」にて永遠の命を得た始祖ユミルの説明がつくんですよね。ユミルは永遠の命を得たが、善悪の知識がないため奴隷として働くしかなかった。

そして奴隷とは対極の存在であるエレンと、2000年の時を経て出会う。

……もう一度、エレンについて考えてみます。

生まれたときから自由である、それは分かった。

ではなぜ我々は生まれたのか。世界は“こんなふう”なのか。

それすら気に入らなかったらどうすればいいのか。

自由とは、選択肢の多い状態のことです。とすると、究極の自由とは、何でも選べる状態ということになります。

運命すらをも選択する立場、すなわち神様です。

具体的に言うなら、ユミルの力を借りて発動した「地鳴らし」は明確に運命を司る力ですね。

神について.jpg

(進撃の巨人26巻106話より)

神が人を、この世界を創ったなら、そしてそれが許せないものなら、自分が神になるしかない。

最後に、この言葉でこの妄想を終わりにしたいと思います。『進撃の巨人』とは、自由を求め続けた者の神話である

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