若いオタクはアニメからVTuberに流れたのか? 7つのポイントから考察
2022.07.31
社会とは不自由であり、社会的生物であるわたしたちはその不自由さをを受け入れなければならない。しかし一方で、誰しも、自分の思い通りに生きていきたい。
この矛盾しているがゆえに実に人間らしい野望を、冨樫義博は『HUNTER×HUNTER』の中で、いくつかの可能性として示している。
人は誰しも、思い通りに生きたい。
好きなものを好きなだけ食べたり、アイドルや女優と付き合ったり、働かずに暮らしたかったりする。これを(狭義の意味で)“自由”と呼ぶ。
だがそれはもちろん“許されない”。皆が自由に振る舞っては“社会”というものは成立しないからだ。
僕達は一定の不自由を許容しているおかげで、街中でいきなり強盗に襲われることのないような、秩序のある生活ができる。18世紀のフランスの政治哲学者・ルソーのいう「社会契約論」なんかは超平たく言うとそういうことだ。
しかしそれでも、自由に生きたい、誰の束縛も受けずに自分の思うがままに行動したいと願う者がいる。そしてそれは『HUNTER×HUNTER』の世界では3つの可能性として描かれる。
赤ん坊と、王と、ハンターだ。
※本稿は、2016年6月「KAI-YOU.net」で配信した記事を再構成したもの
目次
赤ん坊は、何をやっても“許される”。そうでないと、生きていけないからだ。だが赤ん坊は社会に生きていない。では誰が、何が赤ん坊に自由に生きることを許すのか。
母親だ。なぜなら家族とは、社会の最小単位だから。
ところで、冨樫義博が『幽☆遊☆白書』の中で、一番嫌いなキャラクターをご存知だろうか?
※この記事は期間限定でプレミアムユーザー以外にも開放されています。