若いオタクはアニメからVTuberに流れたのか? 7つのポイントから考察
2022.07.31
一方で、同時期に現場で地道な活動を続けていたフィメールラッパーがいたことも忘れてはならない。DJ KENSEIプロデュースのもといきなりメジャーデビューしたRIMも先駆的ではあったが、ここでは伝説のイベント・さんピンCAMPのステージに立った唯一の女性ラッパーであるHACについて触れなければならないだろう。
「夢見てる/ 夢見てる/なぜなの教えてBaby」という切なく流麗なメロディラインとともに、当時の時代感をうまくとらえたユーモアのあるユルいフロウでラップしていくHACの名曲『SPECIAL TREASURE』。
さんピンCAMPにフィメールラッパーが単独で出演し場を沸かせているという歴史的な事件を捉えた瞬間は、長い時を超えいまYouTubeでも粗い画像によって観ることができる。そこには盛り上がりつつある日本のヒップホップの熱気と楽しさを伝えていこうというある種の純真無垢さがパッケージングされており、胸に熱く迫るものがある。
日本のヒップホップ黎明期を彩るYURIとHACという2人のラッパーのパフォーマンスは、ハードコアヒップホップへの揺り戻しをアシストしシーンを拡張したという点で、伝説のさんピンCAMPを沸かせたという点で、いま30年近い時を経て大きな意味を持ち現在のヒップホップ文化へとつながっている。
1994年から1996年にかけての出来事。フィメールラッパーの歴史は、ここから始まったのだ。
1997年、アメリカではMissy ElliottがデビューしTimbalandのチキチキビート革命が起きていた頃、まだAaliyahは生きていて、Lil' KimとMia Xはノリにノっていて、Lauryn Hillはカリスマと化していた。R&Bのみならず、そのトレンドを方向付けるヒップホップにおいてもついに女性の時代が到来したという実感を肌で感じていた頃、興味深いことに、国内のフィメールラッパーはヒップホップのコアに接近するのではなくその「周辺へと」拡散していく。
YURIとHACという先駆的な2人がヒップホップの“正史”に深く関わったのちに、フィメールラップは、今度は本流を取り巻く周辺領域へとドーナツ型に活動を広げていったのである。
アメリカのヒップホップソウルの潮流をJ-POP風に再解釈したUA『情熱』以降に生まれた和製R&Bブームは、ACO、MISIA、DOUBLE、bird、Tinaらの充実した才能を生み、彼女らの佇まいは“ブラックカルチャーに造詣が深い女性たち”として一気に世の中の市民権を得ていった。彼女たちはどうやら、B-GIRLと言うらしい。レゲエに軸足を置きながらもヒップホップマナーを貪欲に取り入れたMINMIの功績もあった。
実はMiss Monday、NOCTURN、LIL' AIなどのラッパーがリリースを重ねていたにもかかわらずあまり脚光を浴びなかった一方で、J-POPにもラップが導入され、すでにデビューしていたm-floの遊び心溢れる実験を下敷きに、HeartsdalesやBENNIE K、HALCALIらが続々と現れヒットチャートを賑わせていった。
決定的だったのは、AIのデビューを経ての2003年、安室奈美恵の『STYLE』、SUITE CHIC『WHEN POP HITS THE FAN』での華麗なる転身だった。この後長く続くことになるT.KURA、MICHICO、Nao'ymtらプロデューサー陣と安室奈美恵とのクリエイティビティ溢れる蜜月は、音楽的革新に留まらないカルチャーの刷新を生んでいき、B-GIRLのテイストを取り入れたファッションブランドが次々と立ち上がっていった。
2004年には雑誌『WOOFIN’ GIRL』が創刊され、「B-GIRLなるもの」のイメージは国内においてはっきりと輪郭を形作っていった。
R&B、レゲエ、J-POP、そしてファッション。ヒップホップの周辺を固めるように「B-GIRL」という記号が独り歩きしていったこの1997年から2003年の期間を経て、アンダーグラウンドでは次なる革命がひっそりと準備される。
最初はユニットだった「般若」での活動を経て充電期間に入っていたRUMIが2004年にソロデビュー。2005年にはB-BOY PARKでCO-MA-CHIが準優勝という女性初の偉業を成し遂げる。
姫やANTY the 紅乃壱、DERELLA、COPPUといったラッパーも2008年までに出揃い、その間に安室奈美恵は『Queen of Hip-Pop』と『PLAY』をリリースした。Hip-PopでPLAYしていた地上の下で、重要なフィメールラッパーが次々と現れ、着実に活動を重ねていったのである。
アメリカではEveやFoxy Brownを経て、サウスに主導権が移りTrinaが人気を博し、ついにM.I.AやLADY SOVEREIGNといった異分子にまでフィメールラッパーの勢力が拡大していった時期である。
一方、国内はどうだろう。ヒップホップの周辺は固まった。ファッションも市民権を得た。現場に支持される役者も揃った。あとは、シーンを統率する求心力だけが求められていた。
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