Interview

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  • 2024.03.09

「みんな何かをパクってることに変わりない、ただ──」Jinmenusagiの目線

ラッパー・ビートメイカー・プロデューサーであるJinmenusagiのインタビューを前後編で配信。

前編では、Jinmenusagiの目線で、地元・市ヶ谷〜神楽坂までの千代田区エリアを歩きながら、その半生を振り返る。

「みんな何かをパクってることに変わりない、ただ──」Jinmenusagiの目線

東京都千代田区と新宿区、2つの区を跨る土地に位置する市ヶ谷駅付近には、もともと江戸城のお濠の一部である外堀と名物の釣り堀、市ヶ谷フィッシュセンターがある。駅周辺には、学校や会社などがところ狭しと建ち並び、会社員や学生と思しき人たちが駅前を行き交う。

おおよそ人が住んでいるようには見えない。事実、千代田区は東京23区の中でも、人口がもっとも少ない。

この千代田区と新宿区を跨ぐ市ヶ谷駅から、唯一無二の個性を放つラッパー・Jinmenusagiの取材はスタートした。

目次

  1. ラッパー・Jinmenusagiと歩く、夜は眠る街
  2. 「嫌な奴でした。親や先生、友達の言うことも聞かない」
  3. 中国語では、『大麻』と『おばさん』の発音がすごく似てる
  4. ラッパー・Jinmenusagiの目に映る、千代田区という特性
  5. お気に入りの喫茶店で腰を落ち着け、インタビュー開始
  6. ニコ動でラップしてるやつは大体が下手だった
  7. ニコラップと周りとの間にそびえ立つ、高すぎた壁
  8. 「現場を知らない」という批判は、音楽活動の手助けにはならなかった
  9. 就職はせずバイト──「精神的にきつかった」
  10. バトルブーム後に花開いた日本語ラップシーン。ラップもビートも、レベルはあがった

ラッパー・Jinmenusagiと歩く、夜は眠る街

2023年末、5年ぶりとなるアルバム『DONG JING REN(東京人)』をリリース。

個性的な雰囲気を醸し出し、独特のワードセンスが反映された楽曲を2012年のデビューから放ち続けるJinmenusagi。彼は一体どんな環境で育ってきたのか

市ヶ谷駅から千代田区側に点在する地元での思い出の地を歩けば、その一端がわかるかもしれない。本人の案内で、市ヶ谷駅を後にした。

総武線沿線 車窓にはお濠 水道橋から飯田橋は曇り 合法ハーブと都のかほり「Tales of 23」より

ジメサギの愛称で親しまれるJinmenusagiは、1991年11月4日生まれ、東京都千代田区育ちのラッパーである。

東京の中心部とも言える皇居が位置する千代田区育ちというユニークな出自であるだけでなく、「仮性包茎ども」や「ケンドリックラマーの刑だ」といった他の曲ではめったに耳にしない独特のリリックや、インターネット発のいわゆる「ニコラップ」からシーンに登場。

さらに、高いラップスキルに加えてビートメイキングやプロデュースもこなすオールラウンダーだ。

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駅から千代田区方面をしばらく歩くと、そこには『ヒカルの碁』に登場する日本棋院会館などのビルの合間に、突如マンションが姿を現す。足元には見渡す限りアスファルトの路面が伸びている。

「神楽坂の方まで行くと違いますが、この辺りは賑やかなのは昼間だけで、夜は眠る街です(笑)。働いている人が多いオフィスタウンだから、朝から夕方までは人が多い。でも、その人たちがいなくなるとゴーストタウンのように静かになるんです。それが地元の本当の側面だと思いますね」

使い古された言葉だが、まさにコンクリートジャングルに囲まれた街を歩きながら、自らが生まれ育った街をそう語る。

子供の頃から何もしたくなかった 誰から何を言われど変わらなかった 何も変わらないままで年を取った「InterNETlude」より

「嫌な奴でした。親や先生、友達の言うことも聞かない」

Jinmenusagiはどんな子供だったのだろうか。

嫌な奴でしたね(笑)。親の言うことも、先生の言うことも、友達の言うことも聞かない。本当に反省しています。でも、暴力を振るったり、何かを盗んだり、人の意に背くようなことはしなかった」

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中国語では、『大麻』と『おばさん』の発音がすごく似てる