若いオタクはアニメからVTuberに流れたのか? 7つのポイントから考察
2022.07.31
カキン編において、第4王子ことツェリードニヒ=ホイコーロという人物が登場します。
首、持ってるんですよね。クラピカが探し続ける、緋の目を持つクルタ族の首を。
しかも、おそらくクラピカと最も仲の良かったパイロの……。
ですので、首の所持者として主人公(この場合はクラピカ)とぶつかるのは当然なのですが、少し視点を変えて読み解いてみます。
ツェリードニヒは、その見た目や発言からキリストのようだとファンから形容されています。
しかし、『HUNTER×HUNTER』世界における圧倒的な最強キャラであるメルエムでさえ、神にはなれなかったんですね。
「今の余ながら神とまでは言わぬが……この世を……」死期を悟ったメルエムのこの一言が象徴的です。
一度死んで蘇ったキリストを思えば、復活というのは神になるための重要な通過儀礼と考えられます。
メルエムもその意味で、洗礼を受けたはずですが、死んで蘇ることは『HUNTER×HUNTER』世界においては神の十分条件になりません(ゴン、ヒソカでさえ蘇ります)。
ツェリードニヒの造形が、キリストをモチーフの1つとしているのは間違いないでしょう。けれど僕は、もう一人別の人物を想起しました。
それはドイツの哲学者、フリードニヒ・ニーチェです。
ニーチェといえば、既存のキリスト教の体制を批判した著書『アンチクリスト』などで有名ですが、その点でもツェリードニヒと一致します。
ここで何より着目したいのは、ニーチェの有名な「神は死んだ」という発言です。
メルエムの例からも分かるように、『HUNTER×HUNTER』世界に神はいないんです。
厳密に言うと、複雑極まりない対立関係や感情の推移を描く『HUNTER×HUNTER』世界では、どれだけ才能があって強いキャラクターでも神にはなれない。
だから、王になるんですね。
ヒエラルキーの頂点は、王なんです。神は論理的な存在じゃないですからね(下記の過去記事参照)。
そして“首を持つ者”と“キリストに深く関わる者”の両面を持つツェリードニヒは、王の器として十二分でしょう。
……とまぁ、今ある情報から『HUNTER×HUNTER』を自分なりに解釈したわけですが……。
そして、同時に進行する、パリストンとジンとの攻防。
パリストンがハンター協会の会長選挙の際、ゴンの復活を予期してその登場を待ち望みながら「このタイミングが一番だったんだけど…まぁ やっぱり ボクは カミサマ じゃない」とひとりごちます。
どう見てもフラグなんだよなぁ…。
非論理の巣窟である暗黒大陸にだったら、神のような存在が出てきても何の不思議もないんですよね…!
これまで物語の到達地点として描かれていたジン・フリークスがいちプレイヤーとして参戦し、現段階で最も謎の多いキャラクターであるドン・フリークスも(おそらく)暗黒大陸に立ち向かうプレイヤー側である、というのは大きなポイントです。
既存の説明可能な世界を経て、冨樫義博先生にとっても“未知”を描くであろう暗黒大陸編。『HUNTER×HUNTER』という物語は、もしかすると、ようやくはじまったのかもしれません。
あいつの場合に限って 常に最悪のケースを想定しろ
奴は必ずその少し斜め上を行く!!(冨樫義博『レベルE』上より)
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