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  • 2021.04.11

「もう一歩か二歩、退いてもいい」初音ミク生みの親・佐々木渉が今だから語れること

気付いたら人もお金も集まる場になっていた、ボーカロイドシーン

――ミクが背負っているものが大きすぎるというか、クリエイターやリスナーの想いはもちろん、商業的にも膨大なものを内包していて、公式としてはもっと綺麗に整理したい所もあったんじゃないかな……と想像していました。

佐々木 初期のライブについては、僕個人としては気持ちの落としどころに迷いました。初音ミクをステージに召喚して、自分たちが考えた演出で歌っている状態に対して、様々な関係者の想いがあって。「俺が始めたんだ」とか「こういう風に広げていきたい」とか。そういう想いと向き合うと、ライブと関係ないクリエイターさんや仕事がむしろ気になってしまって、距離を置きたい気持ちのほうが大きくなっていった。

そもそも動画作品として音楽を作っているクリエイターの方々がいる。その方々が作った曲をチョイスして、キャラクターの初音ミクが持ち歌のように歌うような建て付けが、自分の中で共存させられなくて。「あ、これ、自分にはちょっと重たいな」と思って、ライブについては「ミクの日大感謝祭」(2012年)くらいから僕は基本的には関わらなくなりました。ちなみに補足ですが、これは現在のマジカルミライになる前の話で、マジカルミライ以降は企画展なども含めて次のフェーズに入っている印象です。

――最初は有志の人たちが作品を作って、遊びとして盛り上がっていたものが、気付いたら人もお金も集まる場になっていった。そしていつしかいろんな位相の初音ミクが、同時に存在している状態になっていたと。

佐々木 ライブで目の前にいるミクと、動画サイト上のミクを並行して楽しまれている方々もたくさんいると思います。もちろんそこの解釈は自由にしていただきたいです。ただ大感謝祭の頃から、初音ミクは「バーチャルライブを確立させた存在」として取り上げられることが増えました。

そうすると嗅覚の鋭い人たちが、昨今のVTuberみたいなものの先駆けとして見てくるんです。自分の中で折り合いのつかない見られ方が、次々生まれていたのは事実です。実際に「ミクの日大感謝祭」の楽屋裏では、アイドルのプロデュースをされている方に大きな企画提案を頂いて、余りに自分の目線や将来像と違いすぎて、パニックになってしまって。ここで完全に懲りましたね。

――ミクに限らず、ネットカルチャーの市場化が始まった頃でした。

佐々木 そうですね、大人たちが将来性とか価値、ビジネスの機運を感じ始めたタイミングだったと思います。それで各所のプロデューサーの方々がいろんなお話を持ってきてくれたわけなんですが、具体的な落とし所がそのプロデューサーさんたちには見えていないのも分かっていたんです。

それが僕としては恐怖しか感じなかったというか……たとえば、先程の話ですが「〇〇(超有名音楽番組)に、ユニットを組んで常連として出ませんか」という話もあって、現在のキズナアイ以降の世界においては成立する感覚があるのもわかりますけど、当時は模索的で実験的なことにしかならない状況です。一方で、そこまでのお話ですと、お断りすることが持つ意味も大きいんですよね。こんなチャンス「断るなんて信じられない」と。

普通だったら絶対に断らないと思ってお話を持ってこられているでしょうし、「断ったら、先方の業界で、どんな余波がどこまで広がるんだろう」っていう恐怖感もあって、ボカロPにも間接的に迷惑をかけるんじゃないかと、一番ストレスが溜まっていた時期だったかもしれません。実際に後日、巡り巡って別の方に「あり得ない」と怒られたりもしましたしね……(笑)

佐々木渉インタビュー:後編

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