若いオタクはアニメからVTuberに流れたのか? 7つのポイントから考察
2022.07.31
先述した通り、80年代末から90年代初期にかけてのコンテストはレゲエもヒップホップ勢も入り混じっていることがとても多い。それはまだまだアンダーグラウンドな文化で、プレイヤーの絶対数が少なかったという背景があるが、それが思わぬ相乗効果を生み、この時代“ならでは”の化学反応が起こっていることも確かである。
一例をあげれば、それは北の雄B.I.G. JOEである。
レゲエセレクター(レゲエではいわゆる皿回し=DJのことを“セレクター”と呼ぶ)だった兄の影響でブラックミュージックに目覚め、本人はレゲエではなくヒップホップのラッパーに。
19歳の頃、日本語レゲエの草分け的存在RANKIN TAXIが司会を務めたTBSの深夜番組『TAXI A GO-GO』のレゲエDJコンテストに出場し、ラッパーであるにも関わらず優勝。
これが縁となり、のちにRANKIN TAXIがプロデュースしたコンピレーションアルバム『LARGE UP』にもただ一人のヒップホップアーティストとして参加する。
同作はかのJUMBO MAATCH、TAKAFINがCDデビューを飾った作品でもあり、現在ではプレミア価格で取引されている。
99年。90年代最後のこの年は日本語ラップ的にはDragon Ashの『Grateful Days』がリリースされた年である。
同作に客演し“俺は東京生まれHIP HOP育ち 悪そうなやつは……”という、誰もが知るあの名パンチラインを世に放った男、Zeebraもまたレゲエカルチャーから計り知れない影響を受けている。
そもそも彼のマネージメントを務めるSOLOMON I&I PRODUCTIONは、屋号に“I&I(アヤナイ)”というラスタ用語を冠する通り、強い“RASTAFARI”の思想をバックグラウンドにもち、90年代には伝説のレゲエシンガーであるガーネット・シルクの最初で最後の来日公演も主催。
※ラスタファーライ(ラスタファリアニズム)とは、1930年にエチオピアで即位した皇帝ハイレ・セラシエ(ラス・タファリ・マコネン)を黒人の救世主として崇拝する思想・実践の体系のこと。ラスタファーライのエッセンスを盛り込んだルーツ・レゲエの世界的流行は世界各地に少しずつ形を変えたラスタファーライと実践者ラスタファリアン(ラスタ)を誕生させることになった。I&Iはラスタ言語(I-talk, Rasta-talk)のひとつであり、ラスタ神学的には複雑なニュアンスを持つが、単純化すると「われわれ」(we)のような意味
Zeebraもその影響を120%受け『Grateful Days』の中には“JAHに無敵のマイク預かり”というラインも登場する(「JAH」とはラスタにとっての最高神のこと)。
また、同じく同曲には“そこら中で幅きかすDON DADA”というフレーズもあるが、『DON DADA』とはレゲエDeejayであるSuper Catの曲名のこと(意味は“ドンの中のドン”)。
実は、レゲエ用語を盛り込んだ曲で初めてオリコン一位を獲ったのは、三木道三でもなく湘南乃風でもなくヒップホップのZeebraなのである。
まさにZeebraのたゆまぬレゲエ愛が端的に感じられる逸話であり、筆者もレゲエ者のはしくれとして感謝を述べたい。レゲエ風に言うならば“NUFF RESPECT”である!
迎えた2000年代。降って湧いたような空前のヒップホップブームの中、伝説のDef Jam Japanから鳴り物入りでメジャー・デビューを果たしたのがご存知NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDである。
そして、そのNITROに所属し、『Def Jam Japan』第1号アーティストであったDABOもまた、無類のレゲエ好きであった。
上野にあった伝説のストリートショップ・アウターリミッツでレゲエと出会い、90年代前半の第2次レゲエブームの中、彼はどんどん“RAGGA”にのめり込んでいく。
そもそもソロとしての音源デビューも、ジャパニーズ・レゲエのレーベルであるThunder Gateのレゲエコンピ『premium magic』だった人で、DABOは参加アーティスト中唯一のラッパーであるにも関わらず、RANKIN TAXIやNANJA MANといったレゲエの大御所を向こうに回し『プレミアムマジック』というアルバムタイトル曲を担う。
Twitterでもやたらコアなレゲエ情報をRTしていたり、時おり情熱的なレゲエへの愛を吐露しているのを見かけると、思わず胸が熱くなる……。
レゲエはお兄ちゃんヒップホップは弟。何度目かのヒップホップ全盛期の今だからこそ足りないものをレゲエが補ってくれると信じてる。俺はずっと二股だけど今はレゲエに肩入れしたい気分。つーか物足りないです俺は今のヒップホップ。サウンドじゃないです、メッセージです。レゲエの力を借りたいです。
— DABO (@fudatzkee) August 29, 2019
ちなみにあまり知られていないが、NITROでは現在市議会議員となったDELIも実はラッパーになる前にレゲエのセレクターをやっていたことがあり、初期のインタビューでは“カッティ・ランクスとかが好きだった”という発言も。00年代は同じく千葉県出身のDABOと一緒に千葉のレゲエフェスに出演したこともある。
この時期にメジャーデビューしたアーティストにはシンガーのKAANAもいる。
折からのDIVAブームの中で“R&Bシンガー”として売り出された彼女であったが、実はゴリゴリのレゲエ畑出身で、セレクターのヘモとのユニット『リトルカーナ&ヘモ』で一作マキシ・シングルを出していたり、リトルカーナ&ヘモでは90年代の伝説のダンス『WOMAN WI NAME』にも名を連ねている。
01年、ソロとしてのメジャーデビューアルバムにはDABO、GORE-TEX、THINK TANKやDJ WATARAI、DJ YASといったヒップホップ人脈はもとより、MIGHTY CROWNのMASTA SIMON、FIRE BALLのSUPER CRISSといったレゲエ勢も参加。この年『横浜レゲエ祭』にも出演している。
リリースツアーとして全国クラブサーキットを行い、千秋楽を地元・福井のレゲエのイベントで迎えるはずだったが、その矢先にKAANA本人が病に倒れ、音楽活動からも完全に引退してしまう(!!)。
ちなみに同じく福井県出身者である筆者にとって、KAANAは隣町の先輩にあたり、下に貼ったイベントフライヤーは10代の自分が実際に行ったもの……。地元で『そっと目を閉じて』を生で聴いてみたかった。
この頃のメジャー組ではケツメイシの活動も忘れがたい。
彼らも初期から“レゲエ”の影響を多分に受けたユニットで、一例をあげれば代表曲のひとつである『はじまりの合図』は、レゲエの大ネタ中の大ネタ“SICK”のリメイクである。
ケツメイシのレゲエ曲といえば、他にも『君にBUMP』『夕日』『いい感じ』など……枚挙にいとまがない。
00年代初期はレゲエ勢にまじってレゲエのフェスにも出演していたケツメイシ。
ACKEE & SALTFISHやMOOMIN、RYO the SKYWALKERたちと一緒にラバダブまでしていた姿を、もう一度見てみたい。
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