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  • 2020.06.19

ラノベの学園ラブコメは、オタク像の変遷といかに向き合ってきたか

メインヒロインである高坂桐乃は、ファッション誌のモデルとして活躍するほどの美少女。教室内では友人らとともにクラス内ヒエラルキーの高い中心人物として描かれている。しかしその実は、妹モノの美少女ゲームをこよなく愛するオタク。その相反するギャップによって、高坂桐乃というメインヒロインと『俺妹』という物語の根幹は構成されていた。

この構造自体は『乃木坂春香の秘密』と酷似しているが、ゼロ年代序盤の『電車男』(2004年刊行、2005年ドラマ化)のように、社会的地位こそ向上したもののまだある種のバイアスをかけて見られていたオタク像とは異なる。

『乃木坂春香の秘密』において、非オタである主人公は、オタクであるヒロインを肯定する立場に留まった。しかし『俺妹』では、非オタクである主人公の兄が、ヒロインのオタク趣味を理解するべく徐々にオタク領域に足を踏み入れていく。

そこには、社会と隔絶された異質な存在、という旧来のオタク像からの変容が見られる。

クラスの中心人物である美少女がオタクであり、美少女ゲームをプレイしているというストーリーが、『俺妹』の刊行が始まった2008年には、当たり前に受け入れられるようになったということだ。

『俺妹』の大ヒットは、こうしたオタク像の社会的な変化を裏付けている。

『俺妹』のヒット以後、葵せきな『生徒会の一存』(富士見ファンタジア文庫,2008)や村上凛『おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!』(富士見ファンタジア文庫,2011)、師走トオル『僕と彼女のゲーム戦争』(電撃文庫,2011)のように、クラスの中心人物がオタクである/オタクに好意的な立場をとっているという作品が増加していく。

それはやはり、オタクという存在が宮崎事件以降のアングラな印象から、徐々に公言しても恥ずかしくないくらいには中高生の間で地位を回復してきたという証明に他ならないのではないだろうか。

10年代初頭、学園ラブコメはどのように「空気」を読んできたか

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前述のようなスクールカーストが社会的に問題になり始めたゼロ年代中盤から、それを題材としたドラマや大衆小説は多く刊行されてきた。

木皿泉の脚本による連続ドラマ化で話題を呼んだ白岩玄『野ブタ。をプロデュース』(河出書房新社,2004)もその一つであるし、やや後年の作品ではあるものの、朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』(集英社,2010)も、カーストの底辺にいる少年少女が起点となって、物語が進行しながら様々な思惑が交錯する模様を描いた青春群像劇だった。

さて、この二作品は以下の点で対照的な作品だと言える。

まず、『野ブタ。』はカーストの底辺にいる少年・小谷信太(連ドラ版では小谷信子)をプロデュースして、スクールカーストの上位にしようと図るサクセスストーリーである。一方で、『桐島』は、主人公が周囲の空気を読んで、それを破壊することを望んでおらず、現状の地位に居続けながらなんとか生き抜いていこうともがく物語だ。

つまり、前者はメインキャラクターが成長して良い状態に這い上がることを、後者はメインキャラクターが空気を読んで生き永らえることを目標としている。この違いにより、同じスクールカーストをテーマにしているが、キャラクターの動きが如実に異なるのだ。

こうした大衆小説や連続ドラマの構造が、徐々にライトノベルに影響を及ぼしていった。その結果、そういった物語群の流れを汲んだライトノベルの代表格として挙げられる『俺妹』などの作品群において、主人公とメインヒロインの地位は、既存の学園ラブコメから大きく異なっていったのである。

『俺妹』では、冴えない男子高校生の兄に対して、メインヒロインは読者モデルもこなす文武両道の妹であったし、『乃木坂春香の秘密』もやはり平凡な男子と容姿端麗なお嬢様という隔たりがある。

この両作品では、ともにヒロインの立場まで自分の地位を向上させようと試みた描写が垣間見られる。特に後者では、ヒロインの婿になるまでの過程が描かれており、平凡な男子学生が令嬢の婿になった……その「成長」具合には『野ブタ。』のようなサクセスストーリーの文脈が感じられる。

しかし、これらの作品で焦点が当たっていたのはあくまでもヒロインたちとの恋愛関係であり、スクールカーストや、その空気感ではない。そこを真正面から捉えたのが、平坂読『僕は友達が少ない』(MF文庫J,2009)である。

『はがない』こと本作の主人公・羽瀬川小鷹は、金髪でコワモテであるものの、中身は平凡な男子高校生。ある日、放課後の教室で、誰もいないはずなのに友達と会話をしている……ようにも見える”独り言”をしゃべっていた美少女・三日月夜空と邂逅を果たした瞬間から始まる青春群像劇だ。小鷹や夜空たち”残念”な人物が集い、友達作りを目指す部活動・隣人部が、この物語の舞台となる。

本作の特徴は大きく分けて二点だ。

まず、『はがない』が『乃木坂春香の秘密』などの先行作品から引き継いでいた、ヒロインがどこか”残念”であるという点だ。

オタクということがマイナスポイントとして作用していたゼロ年代後半までの風潮と同じく、理事長の娘でありながら性格の悪さゆえに友達が少ない柏崎星奈や、天才発明家でありながら変態すぎる志熊理科のように、”欠点”を持つヒロインたちは、どこか読者に親近感を抱かせる。

そして、主人公が特定の誰かと恋仲に落ちることを目的としていないということである。

『はがない』では複数のヒロインが小鷹に対して好意を示しているが、それを「え? なんだって?」というセリフに代表される”難聴”的な逃げ方で回避する。この行為は、その箇所のみを抜粋すれば(実際、この箇所のみがネットミームと化している)間抜けな行動である。しかし、このセリフは、ヒロインからの行為を受け流すことによって、知人以上友達未満の関係を互いに続行させる処世術だったのである。

友達が少ない人物たちが集った隣人部という空間で、小鷹が誰かと恋仲になってしまえばその空気は確実に変容してしまう。つまり、「え? なんだって?」と関係性を変容させかねない言葉を回避することで、小鷹は部内の空気を変容させないよう注意を務めていたのだ。

つまり、『はがない』は、前述の『桐島』と同じく、主人公が周囲の空気を読んで、それを破壊することを望んでおらず、現状の地位に居続けながらなんとか生き抜いていこうともがく物語だったのである。

それまでのラブコメでは、半ばハーレム的な要素を含みつつも、最終盤では必ず誰か一人を選択してきた。しかし、『はがない』はハーレム的な要素を内包するものの、空気感との関わり方を丁寧に描写し、空気とそれ自体の関係へ作品の焦点を移したのである。

そういった意味で、『はがない』はライトノベルにおけるハーレムものの描き方を変えたエポックメイキングな作品の一つだった。

10年代中盤、学園ラブコメはどのように「スクールカースト」を描いてきたか

『俺妹』のヒット後、オタクに好意的な物語群が増えたのは前述のとおりである。そんな中で、オタク=恥ずかしいものという印象ではなく、スクールカーストそのものに主眼を置いた物語が生まれはじめる。

その一つが渡航による『俺ガイル』こと『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(ガガガ文庫,2011)だ。

『俺ガイル』はクラス内ヒエラルキーの低い”ぼっち”の少年・比企谷八幡が、問題を抱える少年少女たちと交流を重ねることで、学校内外の問題を解決すべく奔走する青春群像劇である。本作が新たに取り組んだのは、ヒエラルキーの低いものが高いものに切り込むことは可能か、という問いだろう。

『俺ガイル』では”ぼっち”な主人公・比企谷八幡に対して、容姿端麗なお嬢様・雪ノ下雪乃と、リア充グループに属する美少女・由比ヶ浜結衣が配置される。しかし、八幡は『俺妹』や『乃木坂春香の秘密』のように自身がヒロインの立場に足を踏み入れながら問題を解決しようと図るのではなく、自らが”ぼっち”であることを利用して、文化祭実行委員のしがらみやクラスカースト上位の「告白」による仲間関係の崩壊を防ぐ仲裁など、様々な問題に接続しようと試みる。その結果、雪乃や結衣といったヒロインたちが、”ぼっち”であるはずの八幡に対して好意を寄せるようになり、逆説的に”ぼっち”ではなくなるという現象が生じている。

つまり、これまでの「ヒロインの立ち位置まで自らを高めよう」というある種のファンタジー小説における成長パート的な描写ではなく、「自らの立場を利用することでヒロインが降りてくる」というWeb小説での俺TUEEE主人公像が構造として導入されたのだ。

学園内外の空気を読んだまま八幡が動くという意味では『桐島』ないし『はがない』の文脈ではあるが、このような作りは、学園ラブコメというジャンルにおける一種のブレイクスルーと位置付けられるだろう。

その構造が働いている例を、丸戸史明『冴えない彼女の育てかた』(富士見ファンタジア文庫,2012)でも確認することができる。本作は、オタクな主人公・安芸倫也は、冴えない美少女・加藤恵との運命的な出会いをきっかけに、彼女をモチーフとしたヒロインをメインに据えた同人ゲームの制作に邁進する物語である。

邂逅時には、コミックマーケットのコの字も知らない状態で登場した恵は、倫也と行動を共にする中で徐々にオタク知識を蓄えることになる。結果、コミケへのサークル参加を理由に学友からの告白を断る事態が生じるまで、恵は倫也へと接近する。

オタクを好意的に見るという物語こそ、『乃木坂春香の秘密』や『俺妹』のそれに酷似しているが、構造としては『俺ガイル』のように主人公のポジショニングが不変のままヒロインの立ち位置が変化していくというものに近く、徐々にライトノベルにおける学園ラブコメの物語性が変化したことが感じ取れるだろう。

10年代後半、学園ラブコメはどのように移り変わってきたか

『俺ガイル』以後、新たな文脈を学園ラブコメにおいて実践した作品がある。それは屋久ユウキ『弱キャラ友崎くん』(ガガガ文庫,2016)である。

本作の主人公は、クラスの中でも存在感の薄いゲーマーの友崎文也。彼は格闘ゲームの強豪プレイヤーだったが、人生はクソゲーと言い張るほどに学園生活を謳歌できずにいた。そんな中、ひょんなことから学園一のヒロイン・日南葵が、セルフプロデュースによってその地位まで上り詰めたことを知る。そして、彼女が彼を「人生はゲームである」と言い張り、人生の楽しさを教えるべくプロデュースを企てていく……という物語だ。

本作の特徴は、空気を読んでいかに自己を変容させていくか、というところにある。空気を読むという点では『はがない』『俺ガイル』と同様だが、ここで中心となるのが学園一のヒロインによる主人公へのプロデュースである。そう、『野ブタ。』と同様の方法論が導入されているのだ。

しかし、本作は『野ブタ。』の構造に加えて、いかに文也自身の個性をトップ集団に馴染ませるか、そしてカースト上位の者たちの行動をいかにフィードバックするかという二点が描かれている。

『野ブタ。』の刊行当時・連ドラ版放送当時とは異なり、ゲーマー(オタク)であることが公言できるようになった昨今、ゲームが強いことは弱点ではなく強みになり得る。その点を巧みに織り交ぜながら、『野ブタ。』の構造をアップデートしたのが『弱キャラ』なのである。

ここで今回の内容を整理しよう。ライトノベルの学園ラブコメにおいて、ゼロ年代中盤から後半にかけて、スクールカースト上位のヒロインたちが、オタクであるなどの”残念”なポイントを有しているがために主人公と同じ立場に立ってきた。そして、その”残念”な点を主人公は肯定してきたがゆえに恋に落ちたのだ。

しかし、10年代以降はその方程式が崩れ始める。オタクという概念が市民権を得ることにより、むしろそれを強みとして伸ばしていこうという方向に転じた。『俺ガイル』の比企谷八幡は自らが“ぼっち”であることを、『弱キャラ』の友崎文也はゲーマーであることを、といった具合にである。

他の多くのオタクコンテンツと同様、ライトノベルは、スクールカーストや宮崎事件に端を発したオタクの迫害の影響下にあった。しかし、その社会観が変容するにつれ、オタクというものが公言しても恥ずかしくない存在になってきた。

世間のオタク感の変遷を如実に捉え、社会的変容と向き合い、それを巧みに描いてきたのが学園ラブコメだといえるのではないだろうか

ライトノベルにおいては、スクールカーストの上位を陽キャ、下位をぼっちないしオタクと捉え、その社会観の変遷とともに物語の構造が変容してきたのである。

──学園ラブコメはオタク感とスクールカーストとともに移り変わってきた。それを結論にして、本稿を締めたいと思う。

参考文献(五十音順)

愛咲優詩「意外と知らない「ライトノベル」ブームの現在 いったい誰が、何を読んでいるのか」『東洋経済オンライン』2018年3月3日(2020年6月9日閲覧)
飯田一史『ベストセラー・ライトノベルのしくみ』青土社、2012年
木皿泉『野ブタ。をプロデュース シナリオBOOK』日本テレビ放送網、2004年
さやわか『一〇年代文化論』星海社、2014年
鈴木翔『教室内カースト』光文社、2012年
波戸岡景太『ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア』講談社、2013年

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