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2022.11.05
村上春樹という作家をめぐる、ユーモアとオリジナリティ。その魅力とは──
※本稿は、「KAI-YOU.net」にて2017年に掲載された原稿を再構成したもの
小説とはたとえるならば「家」のようなもので、一階にはエントランスやロビーなどのひとびとが集う場所がある。二階にはリビングや個室などのプライベートな空間があって、小説というのはそういう建築物だ。しかし、家には暗く、光のささない暗い地下室がある。そこにはその家で暮らすひとびとにすら忘れ去られてしまったがらくたや古い記憶が雑多に放置されている。
地下に潜らなくても小説は成立するけれど、しかし名作と呼ばれる作品はかならずこの地下室をちいさな光を頼りに潜っていく。
村上春樹の公開インタビュー「魂を観る、魂を書く」より筆者覚え書き
村上春樹がこのようなことを言っていたのを、2013年、京都大学で行われた講演会「魂を観る、魂を書く」で私は聞いた。
この講演会は「河合隼雄物語賞・文芸賞」を記念してのもので、上に挙げたような発言は、彼がもう故人となっていた心理学者・河合隼雄との対談でかつてなされた話題だったという。
私は当時まだ作家ではなく学生で、その発言のメモをとってなかったということもあり、上記について細部はあやふやで申し訳ないのだが、ともあれこのようなことが彼の口から話されたことはまちがいない。
2017年2月に、村上春樹の書き下ろし長編『騎士団長殺し』が発売された。
内容や本の装丁は非公開で、上下巻合わせて130万部刷られ、発売前日の夜にはNHKで特番が組まれるなど、(ありがちなことをいえば)出版不況が叫ばれる昨今では異例の盛り上がりであることはまちがいない。
なぜこれほどまでに「たかが一作家の新刊が出た」だけで盛り上がるのかという疑問をおそらく多くの方が抱いているだろうとおもう。そしてその盛り上がりがほんとうに「作品の価値」に見合うものなのかといぶかるのも無理はないとおもう。
この記事では、現時点で最も近作である長編『騎士団長殺し』を通して、「村上春樹」がどのような作家なのかということを考えてみたい。
最初にいってしまうと、この小説は「村上春樹」の創作論に関するものだ。過去作で使用されたモチーフが利用されながら物語は展開し、そして第1部と第2部の副題にあらわれる「イデア」、「メタファー」といったものへと向かっていく。
例えば、村上春樹を知る読者にとっては『ねじまき鳥クロニクル』と『騎士団長殺し』の類似点がネガティブに挙げられがちだが、何が「致命的に」異なるのか。それも紐解いていきたい。
そして『騎士団長殺し』をはじめとする他の作品群を読むにあたっても、最初に挙げた「家」と「地下室」というメタファーを軸にすることで見通しはずいぶんと良くなる。
※本稿では、『騎士団長殺し』の一部ネタバレを含む
目次
- なぜハルキが読めないのか? ハルキ的ギャグについて
- 村上春樹の描く「孤独」
- 作家のオリジナリティーとは何なのか? 3つの要素
- 村上春樹の作風
- 新作『騎士団長殺し』は『ねじまき鳥クロニクル』と似ているのか?
- 結局ハルキ作品はいつも同じじゃないの?
- 私が考える、村上春樹の魅力
- メタファーと「ポスト・トゥルース」
村上春樹という作家の大きな特徴のひとつに「アンチが非常に多い」ということがあげられる。
村上春樹にかかわらず、一定以上の評価を得た作家は必ずファンと同数程度のアンチも抱えているが、「村上春樹嫌い」の読者は(筆者の印象で申し訳ないのだが)主に以下の2つの理由によるものがあると思われる:
1.伏線らしきものが回収されない、抽象的すぎて物語が理解できない
2.登場人物のスカした茶番がウザい(共感できない)
1については、冒頭で引いた春樹が言うところの「家」の地下(=後述するが、『騎士団長殺し』でいうところの「メタファー通路」)への移行がうまく行えないということになるだろう。そして『騎士団長殺し』はその課題の解決自体を主題としているようにも読める。
問題は2である。はっきり言って、私自身、このウザさは常々感じているし、新作『騎士団長殺し』でも健在だ。
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