若いオタクはアニメからVTuberに流れたのか? 7つのポイントから考察
2022.07.31
レゲエ文化における「負の側面」とは何か? シーンを代表する音楽ライター・ソロバンタン氏が取材・執筆。永年ジャマイカ研究を行ってきた文化人類学者である神本秀爾氏が監修を行った。
レゲエにおけるLGBTQ差別の歴史とは?かつてゲイバッシングの流れで炎上しヘイト運動の対象となったシンガー・MINMI氏の独占インタビューも掲載。
クリエイター
この記事の制作者たち
レゲエは1960年代、首都キングストンの貧困地区で誕生。厳しい時期と苦しみを表現しながらも独特のリズムで楽しめるダンス音楽となっており、社会の平等や愛と平和を呼び掛ける音楽として世界に広がっている。(中略)ユネスコは、「不平等、抵抗、愛、人間性といった国際的な問題の表現に対するレゲエの貢献は、知的、社会政治的、感覚的、精神的な要素の具現化といえる」との声明を発表した。Via ロイター
2018年、ジャマイカ生まれのレゲエミュージックがユネスコの無形文化遺産に登録された時のロイター通信による報道からの抜粋である。
非常に「その通り」な文面なのだが、よくよく読んでいると何とも一面的な文章にも思えてきて、むず痒くなってくる。
なぜそう思うのだろう? それはきっと多少なりとも「レゲエ」というカルチャーに親しんだものであれば誰しもが感じる“違和感”でないだろうか。
目次
- 差別がレゲエ界の常識
- 「バティボーイを撃ち殺せ」の意味
- 90年代に何が起こったか 「ジャマイカの文化」と抑圧されたセクシュアリティ
- 2000年代 「地球上でもっとも同性愛嫌悪な場所」
- 2010年代 レゲエアーティストのカミングアウトも…変わり始めた空気感
- 変化の20年代 規範でも文化でもない、人間の時代
- 翻って、日本のレゲエシーンではどうなのか?
- 日本で巻き起こった、ゲイバッシングに端を発するMINMI炎上事件
- 日本も、変化している
- IKKOのものまねでブレイクしたレゲエ大好き芸人
- MINMIスペシャルインタビュー 〜あの時のこと〜
- あの日の借りを返すために
「お前らオカマ嫌いだろ!」
「オカマ嫌いなやつらは手ぇあげて見せてくれよ!!」
MCがそんな煽り文句を絶叫する。セレクター(※レゲエで言う「DJ」のこと)はすかさず曲をかける。リリックの内容は英語・日本語問わず同性愛者やトランスジェンダーを悪し様に罵ったものだ。そして興奮している観客はさらに盛り上がる……。
驚くなかれ、こんな光景は2000年代までのレゲエシーンでは日本、いや世界規模でも“日常”であったものだ。
なぜ、こんな現象が起こってしまったのか? そしてこれらのことがレゲエカルチャーに及ぼした影響とは?
この連載は2022年の“ジャマイカ独立60周年”にちなんでのものだが、ただこの文化を賛美するだけでは本質は伝わらない(Amazonの商品レビューだっていいことしか書いてなかったら“ステマ”と疑われるだろう)。
今回はあえてレゲエの「負の側面」を語っていきたいと思う。
そもそもレゲエ・ヒップホップの世界では、キリスト教思想などを基にした文化的背景から伝統的にゲイバッシング(日本では「ゲイ=男性同姓愛者」と捉えられるが、英語圏ではもっと広義のLGBTQ含む非主流の性指向の持ち主、という意味になる)が行われてきた。
ヒップホップのMCバトルやレゲエのサウンドクラッシュを追いかけている者であれば、対戦相手をDisる際“オカマ野郎!”と罵るのを、誰しも一度は聞いたことがあるだろう。
レゲエの場合はさらに激しく、ゲイバッシングをテーマにした曲も伝統的にずっと制作されてきた。“バトル”ではない普通の“パーティー”の現場でもそういった曲が流れて観客が盛り上がる、といったことが日常であった。
これは、多民族国家のアメリカと違って、ほぼ黒人のみが居住するレゲエ発祥の地・ジャマイカの風土も関係していると思う。
百聞は一見にしかず、いくつか紹介していこう。
『Chi Chi Man』は日本でも圧倒的な認知度を誇るレゲエユニットT.O.K.の出世作。
歌詞の内容は“Chi Chi Man(ゲイを指すスラングのひとつ)を燃やし尽くせ”というもので、00年代の『横浜レゲエ祭』などでもMIGHTY CROWNがプレイし集まった万単位の観衆が合唱した(オーディエンスが歌詞の内容をどこまで理解していたかは定かではない)。
人気に火が点いたきっかけは、2001年、ジャマイカの二大政党のひとつ・JLPのキャンペーンソング(!!)に起用されたからだった。敵対するPNPの党首であり当時の首相であったP.J.パターソンが独身者であったことから“ホモに国は任せられない”という強烈な侮蔑が込められている。
ちなみに『Chi Chi Man』が収録されたT.O.K.のデビューアルバム.『My Crew, My Dawgs』は故・山本“KID”徳郁の入場曲『I Believe』が収録された作品としても日本では広く知られている。
『Log On』は、T.O.K.と並び00年代に一世を風靡したレゲエアーティスト・Elephant Manの初期代表曲。意味は“チチマンを踏みつぶせ!”で、同曲の振り付け(レゲエはディスコ・カルチャーを内包した文化で、ヒット曲には固有のダンスが付随する場合が多数存在する)では、足を回し、ズバリ“踏みつぶす”動きをする。
「Nah Apologize」は、“謝らない”というタイトルが示す通り、「バティボーイに頭を下げることは決してない」という、Sizzlaのアーティストとしてのスタンスを歌った曲。
※バティボーイ 直訳すると「お尻男」。これもゲイを指す有名なスラング
なぜ“謝らない”のかと言うと、Sizzlaはラスタの教義もあって同性愛には強く批判的で、これまでにも相次ぐLGBTQ支援団体の抗議によって世界各国で公演が中止に追い込まれてきた、という経緯がある。
それは2022年の現在に至っても変わらずで、あれだけ世の不条理を歌にしてきたアーティストであってもそこに関する認識だけはいまだ“悪”のままなのである。
Sizzlaはかの世界的シンガー・Rihannaも初期のインタビューで“大ファン”だと公言するほど音楽的才能に溢れたアーティスト。それだけに、生の歌声がジャマイカ以外でほとんど聴けない状況になってしまったのは重大な文化的損失でもある……。
これは正確にはゲイバッシングの曲ではないのだが、このカルチャーを語る上で重要だと思ったのであえて紹介する。Shabba Ranksの代表曲のひとつ『Love Punnany Bad』。
「プナニー」とは女性器のことで、“オ●●コが大、大、好きさ!!”と延々語るすごい一曲。
まさに強烈なまでの異性愛への賛美だが、それは同時に「同性愛の否定」という捉え方もできる場合がある(事実そのリリックの内容から“現場”では「おかまが嫌いなやつはこの歌を〜」的なMCと一緒にかけられることが多い)。
Shabbaは91年のアルバム『As Raw as Ever』(『生でやりたい』というすごい邦題がつけられ日本でも話題になった作品)で、ダンスホール・レゲエのアーティストとしては史上初のグラミー賞を獲得し、以降シーンのアイコンのひとつとしてその地位を不動のものとする。
なお、近年大きな盛り上がりを見せる「レゲトン」という音楽ジャンルも、彼の代表曲のひとつ『Dem Bow』を音楽的な祖とするもの。
数あるレゲエのバティマンヘイトソングの中では、恐らくこれがもっとも有名ではないだろうか。
“Boom Bye Bye Inna Batty Boy Head!!(バティボーイの脳天めがけてぶっ放せ!!)”と歌われた同曲はあまりにも直接的&攻撃的であったため多くの賛否を呼び、後述するが結果的には歌ったBuju Banton本人の人生すら大きく変えてしまった。
ここ日本においても、TVなどで映像が使用された2014年のUMBでの「DOTAMA vs R-指定」戦で、R-指定が同曲のラインをサンプリングしているため、特にレゲエに興味のないバトルキッズの間でも聞き覚えのあるフレーズとしてすっかりお馴染みに。
さて、ここまでは“ゲイバッシング”を主題とした数々のレゲエ・ソングを紹介してきた。
どれも痛烈な表現なのだが、そんなあまたの楽曲や、強いアーティストのスタンスがトラブルを招かなかったというと、もちろんそんなことはなかった。
91年、Maxi Priest『Close To Yo』のBillboardチャート全米1位獲得をきっかけに世界規模の第二次レゲエブームが巻き起こる。
ここ日本でも数万人を動員した『REGGAE JAPAN SPLASH』など、大規模なレゲエフェスがいくつも開催。多数のジャマイカン・アーティストが海外公演へ旅立っていくのだが、当時メキメキと頭角を現していた若手人気アーティスト・Buju Bantonを“ある”事件が見舞う。
以下は当時の『レゲエマガジン』からの抜粋である。
ブジュ・バントンの「BOOM BYE BYE」のリリックが英国と米国で問題になっています。同性愛者保護協会のクレームで、11月上旬より始まるペントハウス・クルーのツアー(マーシャ・グリフィス、ウェイン・ワンダー、トニー・レベル等のパッケージ。英国のブライトンで行われる「ウーマッド・ウインター・フェスティバル」への参加を含む英国ツアーと米国ツアー。このツアーは「ペントハウス・ショウケイス」の名で知られる恒例のツアーでもある)が中止になるとグリーナー紙の第一面で報じられました。これに対するブジュのコメントは以下。“トラブルを作るつもりは毛頭ないが、このリリックにあるのはカリビアン・カルチャーだ。僕は僕達の文化を守る”
レゲエマガジン 92年12月号 『アイランド通信』より
時を同じくして、92年の12月、Shabba Ranksがイギリスはチャンネル4のTV番組『THE WORD』に出演した際、このBujuの『Boom Bye Bye』について司会者から話を振られ、彼は“これは言論の自由。聖書にもある、同性愛者は磔にされるべき”という世にも有名な発言を残す。もちろん大問題に発展する。
直後に謝罪するのだが、これが元となり本国ジャマイカでは彼に対するバッシングが起こり……それが遠因となったのか、アーティスト自身も活動拠点をアメリカへと移してしまう。
『THE WORD』は深夜番組で、今で言う炎上マーケティングを狙っているところがあり、それに若きShabbaがまんまと乗せられてしまった、という見方もできるのだが……それにしてもなぜこんなにもジャマイカのアーティストは同性愛について頑ななのだろう?
鍵はキリスト教文化にある。
『創世記』の19章、男色がはびこっていたため滅ぼされたソドムとゴモラの町の一節は、実際にゲイバッシングを行うアーティストがよく論拠にするところである(肛門性交などを指す“ソドミー”という語はこの聖書の記述に由来する)。欧米のカトリックも同性愛批判をする際はこの一節を引き合いに出すことが多い。
ジャマイカはキリスト教国家で、実際に人口分布に対する教会の比率が世界でもトップクラスに多い。レゲエ界に反同性愛者が多いことについてこれで“いちおう”の説明はつくのだが、一方で複数の異性との性関係を誇らしげに語ったり、暴力的行為を賛美したりするようなリリックの曲もレゲエには山ほどあるわけであり、これは明らかに聖書の記述とは相反している。
日本人にはわかりづらいところだが、外国の文化の中で“宗教”というものは絶対的な一面があり、実際にPapa SanやLady Sawなどゴスペルに転身した元レゲエ・アーティストたちはみな一様に世俗の音楽(レゲエ)からは一定の距離を置いている。それぐらい厳格なのである。
結局、この問題は奴隷時代からの紆余曲折が絡み合った「ジャマイカの文化」としか言えず、根本的な要因を辿っていったら何百ページにも及ぶ論文が完成する……。非常に複雑なのである。
また、反自然的性行為(主に肛門性交)を取り締まる「ソドミー法」も実際にジャマイカには存在し、そもそもは英国領であったジャマイカにイギリスからもたらされたものだった(1864年に制定。ただし執行例はほとんどない)。もともとはヴィクトリア朝時代の古い法制度なのだが、独立後もかたくなにジャマイカ人はそれを保守する、というところに植民地支配のねじれがある。
そんなゴタゴタもあってか、90年代の世界的なレゲエ・ブームはいったん沈静化するが2000年代初頭にまた再燃。その原動力となったのが、T.O.K.やElephant Manといった当時旋風を巻き起こしていた若手アーティストたちであった。
現在30代の筆者もリアルタイムで体験したこの2000年代の第三次レゲエブーム。ここ日本でも街行く人々は赤黄緑のラスタカラーをあしらったアイテムを身につけ、テレビのCM曲ではレゲエの曲を起用。深夜番組では美しいレゲエ・ダンサーが舞い踊っていた“あの頃”を、今も昨日のことのように思い出す。
だが、そんな中にあってもジャマイカのレゲエ・アーティストたちのゲイバッシングは止むことはなかった。というか、売れて「セルアウト」と呼ばれることを恐れるあまり、より過激な行動をとるようになるアーティストもいるのでタチが悪い。
レゲエシーンは活況に満ちていたが、リリックの内容から海外公演を中止に追い込まれるアーティストが続出。Sizzlaと名門レーベル・Def Jamとの契約も飛んでいる。ジャマイカ国内に目をやれば既にベテランとなっていたBuju Bantonが“複数の同性愛者に暴行を加え、裁判沙汰に発展する”といった、どこまで本当なのかよくわからないゴシップもタブロイド紙を賑わせた(当時このニュースは日本のレゲエ系フリーペーパーにも掲載された)。
この頃タワーレコードが発行するフリーペーパー『bounce』には『ダンスホール・レゲエ世界侵略の前に立ちふさがる文化/風土の壁』というタイトルでこんな文章が寄稿されている。
ジャマイカは同性愛者を表向きは受け入れないお国柄で、ゲイ・バッシングの曲も単純にそれを反映したものである。確かにジャマイカ内で同性愛者の人が攻撃される事件も起きており、ダンスホール・レゲエがそれを促進するというのが抗議をしているグループ側の論点で、ヘヴィメタルが暴力や自殺を喚起する音楽として保守層に嫌われたのと同じ理論だ。先ごろ、イギリスを訪れたヴァイブス・カーテルはBBCのラジオのインタヴューに応え、同性愛者の人々への謝罪に近いコメントを発した途端、ジャマイカの新聞で揶揄されてしまい、各アーティストは国際的な成功と、国での人気の板挟みになっている。Via bounce
この文章が載った『bounce』は2004年に刊行されたもので、同年、ジャマイカのLGBTQの支援団体『J-FLAG』の設立者であり、島内でもっとも有名なゲイ支援活動家の一人であったBrian Williamsonが刺殺されている。また、2006年には米『TIME』誌にジャマイカを“地球上でもっとも同性愛嫌悪な場所”と評した文章が掲載された。
2000年代最後の年、2009年の暮れにはBuju Bantonがマイアミにてコカイン密輸容疑で逮捕。約10年近い刑期を言い渡され2011年より投獄される(この事件は色々と不明瞭な点も多く、当時は“彼の成功を妬んだゲイ団体の陰謀だ!”という声もシーンの中でまことしやかに囁かれた。それはないと思うが)。
彼も、レゲエシーンも“変わらなければならない”瞬間だった。
レゲエのゲイバッシングにまつわる数々の騒動は10年代に入ってやっと落ち着きを見せ、目立った事件も少なくなってきた。
これは、二度に及ぶブームの中で様々なゴタゴタが起き、シーンにいる人間たちも“懲りていた”ことが一義として挙げられるが、背景にあるのはSNSの急速な普及によるところが大きい。
ここ日本でも、東日本大震災が発生しTwitterをはじめとするSNSの存在意義が大きくクローズアップされるようになったのは、10年代が始まったばかりの年、2011年である。
SNSを通じて人と人との距離が縮まり、「世界がより狭くなった」からこそ、かつては許容されていた数々の過激な表現も看過されなくなったのだ。
これは近年の事例であるが、Buju Bantonの娘のひとりでありジャマイカ在住のモデル・Abihail Myrieが2021年、コロナワクチン接種についてTwitterで議論になった際、思わず“無理やりワクチンを押しつけるなんてバティマンのすることだ!”という投稿をしてしまい、炎上。直後に謝罪するという事件も起こっている。
技術の発達と価値観の変化は日進月歩……今や、ジャマイカにおいてもこの空気感なのである。
10年代に話を戻すと、90年代「Shy Guy」が大ヒットしたDiana Kingが2012年、Facebook上でカミングアウトする(Via Facebook)。
彼女は既に海外に移住しており“レズビアン”であるということもファンの間では半ば公然の事実であったが、それでもジャマイカ出身のレゲエアーティストが自ら性的マイノリティであると告白するのは異例なことで、ここから10年代の空気感が形成されていったと言っても過言ではない。
そして2018年にはBuju Bantonが8年に及ぶ刑期を終え、出所。翌2019年には数々の物議を醸した「Boom Bye Bye」と完全に決別することを正式に発表し、同曲は彼のアーティストカタログからも削除される。
怒涛の人生を歩んできたBujuであったが、彼の出所はジャマイカで熱狂的な盛り上がりを見せ、キングストンの国立競技場で開催された凱旋コンサートは数万人の観客動員数を記録。また、カリビアンである世界の歌姫・RihannaもこのBujuの帰還に熱烈に反応した一人で、この頃インスタグラムには彼と寄り添い手を繋ぐ写真が投稿されている。
ちなみにこの頃BujuはDJ Khaledの楽曲「Holy Mountain」に客演しているが、共演している070 Shakeはクィアとして知られているアーティストである。
迎えた20年代。2021年にレゲエ・シーンを震撼させる出来事が巻き起こる。
なんと、現行シーンの第一線を走る女性アーティスト・Lila IkéとJada Kingdomが一日違いで相次いでカミングアウトしたのだ!!!
先述のDiana Kingの場合とは異なり、2人とも20代で、バリバリに“現役感”が漂うアーティストであるだけに、シーンに与えた衝撃は大きく、紛れもない“新時代”の到来を予感させた。
そして間髪入れずに、今度はSpiceが、翌年カナダで開催される世界最大級のLGBTQフェスへの参加を発表。
Spiceはこの年「Go Down Deh」が大ヒットしたベテラン女性アーティスト。同曲は毎年恒例の“バラク・オバマのプレイリスト”にも選出され、YouTube再生回数は現在までで1億回を突破している。
そんなアーティストが性的マイノリティを擁護するスタンスを取ったことでシーンに与えた影響は大きく、SizzlaやベテランセレクターのFoota Hypeは彼女を非難。
特にSizzlaの拒否反応は相当なもので、「レゲエやダンスホールを邪悪なやり方と混ぜないでくれ。この音楽はホモセクシャルやレズビアンを非難するものだ」と、自身のインスタにて痛烈に書き綴っている。
投稿では“ジャマイカに銃はいらない。異常性愛もいらない”としめくくられており、彼の中で異常性愛(と、Sizzlaが見なすもの)は銃による暴力と同列のものなのである……。
闘いはいまだ続いている。
実は彼女たちはいきなりこんな行動を取ったわけではなく、そこにはある“伏線”が存在する。
この前年、2020年の6月(6月はLGBTQのプライド月間として知られている)に大御所レゲエDeeJay・Beenie Manの娘のひとり、Ashley-Jade Davisがカミングアウトしたのだ。
Beenie Manは「横浜レゲエ祭」をはじめ来日経験も豊富なアーティストで、10歳にも満たない年齢でキャリアをスタートさせて以降、現在までシーンに君臨してきた大御所中の大御所。
彼もまた、00年代には過激なゲイバッシングを含んだリリックによって世界各国のフェスから出禁を喰らっている。
そんな人物の娘がカミングアウトしたことは世間の耳目を集めたが、Beenie Manはこの件に関して何も触れず、娘の発言を黙認。ただ自身のインスタグラムのストーリーに娘の写真を載せ“私の美しい娘を見てください”とだけ書き綴った。
ジャマイカのレゲエ・アーティストがゲイバッシングを行う際、そこには様々な理由づけがされる。ある者は“聖書に書いてあるから”と言い、またある者は“ジャマイカの文化だから”と言う。
しかし、どんな理屈を並べたとて、それは「親子の情愛」には勝てなかったのではないだろうか? 少なくとも筆者はそう信じている。
さて我が国のケースに話を移そう。
日本においては、LGBTQ批判を扱った日本語のレゲエ曲はかなり少なく、ほとんどと言っていいぐらい見つからない。
これは、テーマが際どいというのはもちろんのこと、2000年代の本格的な“ジャパレゲ”の時代に突入する直前、兄弟ジャンルであるヒップホップの世界で、キングギドラのメジャーデビューシングルが発売と同時にCD回収の事態となった……という事件も大きく関係していると思う(同曲には「ニセもん野郎にホモ野郎/一発で仕留める言葉のドライブバイ/こいつやってもいいか 奴の命奪ってもいいか」といったリリックなどがあり、市民団体からの抗議を受けていた)。
しかし「現場」レベルにおいてはゲイバッシングなどは日常茶飯事であり、DJクラッシュやサウンドクラッシュなど、演者同士の「音楽バトル」においては、より過剰にそのトピックでお互いを罵り合った。
あえて名前は出さないが、名実ともに日本を代表する世界トップクラスの某レゲエサウンド・クルーは、自分がレゲエを聴き始めた2000年代初頭「オカマは気持ち悪いだろ! 俺がおすぎとピーコと歩いてたらお前らどう思うよ!!」というMCをしていたことを思い出す(確かこれは当時のスペースシャワーTVでも流れたはずだ)。
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