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  • 2022.05.22

「もっとみんなが活躍できるジャンルであってほしい」伴名練のSF論

日本のSF界を支える出版社である早川書房をして「2010年代、世界で最もSFを愛した作家」と言わしめた作家・伴名練。

傑作集『なめらかな世界と、その敵』文庫化記念のロングインタビューを前後編でお届けする。

「もっとみんなが活躍できるジャンルであってほしい」伴名練のSF論

その小説家の名は、伴名練。兼業作家であるため、完全に覆面を貫き表舞台には一切姿を見せない。SNSなども現時点ではやっていない。

しかし、2019年、初の単著となった作品集『なめらかな世界と、その敵』(早川書房)は、いち早く手に取った関係者が一様に絶賛したこともあって発売前から重版がかかるほどに。刊行後もSNSを中心にその評判が広がっていき、大ブレイク。SF好きはもちろん、SFというジャンルに親しんでこなかった層にも広く波及した。

京都の大学出身であることを明かし、その紙版単行本の7刷までの印税総額330万円余りを、当時寄付口座を開設していた京都アニメーションに寄付した。

翌2020年からは、伴名練のSF愛の結晶として、古今東西の名作や作家ごとの傑作群を編んだアンソロジー『日本SFの臨界点』シリーズを早川書房から怒涛の勢いで刊行している。

そして2022年、『なめらかな世界と、その敵』が文庫化された。本作には、歴史改変SFとしてソ連をテーマにした短編が掲載されている。文庫版も、今月5月31日までの紙版の発行分の印税は全額、ウクライナ人道危機救援金に寄付されることがあとがきで明かされている。

現実に寄り添う想像力の結晶である「SF」というジャンル。それに対する並並ならぬ愛と深い造詣を持つ傑物に、文庫化記念で取材をさせていただくに至った。その一言一句に、SF作家としての倫理と矜持が詰まっている。

目次

  1. ウクライナ侵攻以前と以後 文庫化の改稿にあたって
  2. 古くあってはいけない──星新一からの影響
  3. 新幹線でおじさんが買って読み終えるものを
  4. SFにおける「センス・オブ・ワンダー」という言葉の難しさ
  5. なぜ、伴名練は過去作をオマージュするのか?
  6. アイデアが古典的でも、現代を舞台に生まれ直すことはできる
  7. なぜホラー大賞でデビュー? 感情とジャンルという組み合わせ

ウクライナ侵攻以前と以後 文庫化の改稿にあたって

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『めらかな世界と、その敵』文庫版

──本日はお時間をとっていただきありがとうございます。2020年から引き続いてのコロナ(新型コロナウイルス感染症)の状況や昨今のロシアのウクライナ侵攻など、世界が大きく変わりつつある中で、『なめらかな世界と、その敵』文庫化のお話や、SF作家としてのお考えをうかがいたいと思っています。

まず文庫化にあたって、特に「シンギュラリティ・ソヴィエト」を大きく改稿されています。改稿されたポイントとその意図をお教えいただけますか?

伴名練 この作品はまず、改変歴史テーマ、つまり実際とは違う歴史をたどった世界を描いた小説です。このジャンルの中で自分が特にソ連ネタ、旧共産圏をテーマにしたものに興味を惹かれていたことが執筆につながりました。

直接的な影響元は、アンゲラ&カールハインツ・シュタインミュラーの「労働者階級の手にあるインターネット」※1から。これは1990年代に突然東ドイツからメールが来た、というところから始まる作品です。

※1 アンゲラ&カールハインツ・シュタインミュラー著「労働者階級の手にあるインターネット」: 高野史緒編『時間はだれも待ってくれない 21世紀東欧SF・ファンタスチカ傑作選』所収

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Photo by Tengyart on Unsplash

現実の世界に、旧共産圏が滅んでいない世界からメールが届くわけですが、閉鎖的で強権的な体制、もうひとつの世界がまだ存続しつづけているというアイデアをもとに、その不安、おそろしさがじわじわと描かれます。

「シンギュラリティ・ソヴィエト」は、ソ連がAIを導入したことで西側諸国に勝った世界を描いたものです。「労働者階級の手にあるインターネット」もそうなんですけれど、旧共産圏がSFの中で描かれるときは、なにがしかの郷愁が託される場合はあっても基本的にはディストピア的なもの、怖いものとして登場します。

今回の改稿は、「シンギュラリティ・ソヴィエト」が今のままで果たしてその意図が伝わりきるか、という理由によるものです。

たとえば、ソ連がAIを導入してアメリカに勝った世界ではあるんだけれど、むしろそれより先に、ソ連がAIに降伏した世界、と見えるように変えているところがあります。

用語レベルでいちばんわかりやすく変えた点は、通信社のスプートニクです。改稿前のものでは、スプートニクニュースが現実世界でのCNN、BBCくらいに、世界的に信頼のおけるメディアのイメージで描写していました。でもその皮肉をわかってもらうためには、現実世界でのスプートニクニュースがどういうものであるか、読者が知ってくれている必要があります。あるいは逆に、スプートニクニュースというものの実体を全く知らない人が、そのまま流して読んでくれるなら、それはそれでいいんです。

今回のロシアのウクライナ侵攻に際して、スプートニクがいつも通りロシアのプロパガンダを流しまくっていたわけですけれど、そのプロパガンダを真面目に受け止めてそのまま拡散している日本人も一部にいる、という状況があります。スプートニクの報じた内容をもとに、ロシアの側に立って「ウクライナに非がある」とする国内の新聞記事もありました。ロシアの侵攻が始まる前と後とで「スプートニク」という言葉の持つ意味が多くの日本人にとって変わってきてしまっている

わたしとしてはスプートニクが流しているニュースが正しい、と主張しているように見られたくありませんし、この作品が旧東側の強権的な独裁体制を支持するものだと思われたくない。なので「スプートニクニュース」としていたところを、「アルメニア・ラジオ」に変えました。これは実在しない放送局で、ソ連時代のアネクドート(政治風刺的なジョーク)です。「アルメニア・ラジオ」と書けば、皮肉であることが伝わりやすいだろうと。

──アルメニア・ラジオというと、リスナーからの質問とその答えとして語られる、ソ連のシンプルなジョークの形式ですね。

伴名練 逆に「じゃあなんでこれは直さなかったのか」と言われそうなところ──チェルノブイリに人工知能開発研究所がある、という記述について。文庫版が校了された段階では、ロシア軍がなんの準備もせずにチェルノブイリに突入して被曝していたというニュースは、まだ報じられていませんでした。ただし、軍がチェルノブイリに来たからにはなにがしかの原子力災害が起こるかもしれない、ウクライナの人に被害が及ぶかもしれない、という可能性は考えられました。

けれども以前「水俣」という地名がもはや水俣病しか連想されなくなっていることが悲しい、という記事を見たことがあるんです。たしかに自分も「チェルノブイリ」と言われたら最初に思い浮かぶのがあの事故です。だから少なくとも改変された歴史の中でくらいは、別の役割を与えたかったんです。

そういう意味で、スプートニクニュースを変えたのとは真逆の態度ではあるんですけれど、現実には大きな事故があって放射能汚染が起きた場所であることをわかった上で、作中世界ではまったく別の意味を持たせて、そちらの意味で作中世界の人物にも認識されている地名にしたかったんです。

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Photo by Mads Eneqvist on Unsplash

でもこんなのは、配慮であるかどうかすら難しい、一種の言い訳なんですよ。巻末の「文庫版によせて」に書いた通りですけれど、これは全部わたしの基準、わたしの気持ちで直していて、編集部から直してくださいとはなにひとつ言われていません。なので、この修正に関しては自分が全面的に責任を負っています。

本当は、もう少し時間があればまだ直したい箇所もあったんですけれども、逆に言えばこの戦争がどこまで続くかわからないし、現時点で自分が考えられること、自分の倫理観に従って直せる限りのものを、2022年の版として出すことに意味があるだろうということで修正を切り上げた、という経緯です。

──自分もいち読者として、この戦争が起こる前と後で、「シンギュラリティ・ソヴィエト」に対する感想がやはり変わったように思っています。しかしそう考えると、大変なタイミングでしたね。

(早川の担当編集)溝口力丸 校了が3月31日くらいでしたかね。ウクライナの首都・キエフを(ウクライナ語の発音で)キーウと呼ぶようにしましょう、ということになった日だったと思います。

伴名練 この作品の終盤で旧ソ連の都市の名前を羅列するところがあるんですけれど、そこから「キエフ」を消す、という修正もしています。日本のメディアが「キーウ」に切り替えるより前だったと思います。キーウが現実世界においてウクライナ人の抵抗の、希望の象徴のようになっているので、それに対して2022年に、フィクションの中とは言え、ソ連の一都市として十把一絡げに語りたくない、と思ったという事情がありました。

……それに加えてあともう一行だけ直したいところがあるので、重版かかったら直します。

溝口力丸 まあそれはご自由に(笑)。

追記:重版かかったので直しました。ご興味のある方は探していただければ(溝口)

古くあってはいけない──星新一からの影響

──伴名さんは今回に限らず、いろんなタイミングで大きな改稿をされるイメージがあります。たとえば「美亜羽へ贈る拳銃」も、まず最初に同人誌※2のバージョンがあって、そのほかに京都大学SF・幻想文学研究会(以下、京大SF研)のサイトに掲載された追補があり、年刊傑作選※3に収録される際、そして単行本の『なめらかな世界と、その敵』に採録する際の2回ともに改稿をされています。作品を改稿し続けることは、どうしようもなくやりたくなってしまうものなのでしょうか?

伴名練 やりたくなりますね。たとえばの話、5年後くらいに「美亜羽へ贈る拳銃」をアンソロジーに入れたいという話が来たら確実にその時にも直すでしょう。なぜかというと、自分の手の届く限りは、今一番若い読者に面白いと思ってほしいし、そのためには古くあってはいけない、と思うからなんです。

※2 同人誌:『伊藤計劃トリビュート』のこと

※3 年刊傑作選:『拡張幻想 年刊日本SF傑作選』のこと

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