若いオタクはアニメからVTuberに流れたのか? 7つのポイントから考察
2022.07.31
2009年、仲俣暁生氏は雑誌批評『再起動せよと雑誌はいう』を始動させ、2年後にはそれが単行本となって刊行された。
再び再始動する雑誌批評の中で氏が投げかける問いはたった一つ。雑誌は今も“事件の現場”たりうるのか?
「雑誌が売れない、読まれない」という話は、もう聞き飽きるほど耳にしてきただろう。実際に取次ルート経由(定期購読や電子版以外による)の雑誌売上は減少の一途を辿っているし、それにともない雑誌広告も冷え込んでいる。
だがしかし、である。それだけをもって「雑誌の終焉」と言えるのか。あくまでそれは既存の流通システムと大手代理店経由の広告収入に頼り切った「マスマガジンの終焉」であって、「雑誌」という編集制作物の終わりではない。
ジンやリトルプレスなどと呼ばれるインディペンデントな雑誌の出版はむしろ活発化しているし、さまざまな電子媒体での雑誌的なメディアも生まれてきている。既存のマスマガジンの影響力低下はむしろ、日本ではまだ十分に成熟しているとはいいがたい雑誌文化の、次なるステップへの移行期ではないか──願わくば、そうであってほしい。
そんな思いを込めて始めるこの連載では、毎回、特定の雑誌とその誌面についてレビューをしていく。雑誌というメディア上で起きる出来事を「事件」としてみていく、あるいは、雑誌は今も「事件」の現場たりうるのかを探っていく、といったほうがわかりやすいかもしれない。
ちょうど10年前、関西で発行されているある雑誌で、「雑誌」についての小さな連載を始めた。2年後、それは『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)という本にまとまったので、読んでくださった方もいるかもしれない。あれから雑誌をとりまく環境はどう変わったか、それを探る試みをそろそろ「再起動」したいと思う。
さて、連載を開始するにあたって、筆者なりに「雑誌」の定義を示しておきたい。
執筆:仲俣暁生 編集:新見直
目次
- やむない撤退戦か、アグレッシブな挑戦か 異例の合併
- 「世界で唯一の妖怪マガジン」と「日本初怪談専門誌」
- “妖怪”と“怪談”の本質的な違い
- 足して二で割れない“余剰”を
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