「もっとみんなが活躍できるジャンルであってほしい」伴名練のSF論
2022.05.22
セカイ系から空気系、そしてお仕事系へ。アニメジャンルの変遷は、視聴者の成長の歴史でもある?
※本稿は、「KAI-YOU.net」にて2016年に掲載された原稿を再構成したもの
ゲーム制作会社の日常を描いた『NEW GAME!』や、2016年冬アニメで人気を博した作品の続編『アクティヴレイド−機動強襲室第八係 2nd』といった「お仕事系アニメ」。
特にアニメ制作会社を舞台としたアニメ『SHIROBAKO』以降、この「お仕事系アニメ」は増えてきましたが、この頃のアニメ視聴者で一番多くを占めるのが20代[1][2]であることを考慮すると、働きはじめの方も多く、職場を舞台とした作品が多くの視聴者の共感を得られるというのは自然なことかもしれません。
ただ、ここでちょっと立ち止まってみましょう。
1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』の放映以来、質・量ともに激動の時期にある日本アニメ作品群で、この「お仕事系アニメ」とはどのように位置づけられるのでしょうか?
批評家の東浩紀や宇野常寛を筆頭に多くのことが議論されてきましたが、ここでは「どうして今『お仕事系アニメ』なのか?」ということを振り返ってみます。
[1] http://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/201607.pdf
[2] http://smartanswer.colopl-research.jp/reports/d67f1fee-3c25-4526-b132-112547e5c560
目次
- 社会や成長が描かれなかった「セカイ系」
- ユートピアに終わりをもたらした「空気系アニメ」
- 『SHIROBAKO』をはじめとした「お仕事系アニメ」とは何なのか?
- 今期のお仕事系アニメ『NEW GAME!』と『アクティヴレイド』
- セカイ系→空気系→お仕事系という流れは、アニメ視聴者の歴史?
アニメ批評界隈では、よく『新世紀エヴァンゲリオン』が日本アニメのターニングポイントとして論じられることが多く、この作品の直後にきたのが「セカイ系」と言われる作品群です。この「セカイ系」という言葉は東浩紀の定義では
『主人公と恋愛相手の小さく感情的な人間関係(きみとぼく)を、社会や国家のような中間項の描写を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」といった大きな存在論的な問題に直結させる想像力』出典:東浩紀,「ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2」,講談社,(2007年),p96-97より引用
とされています。
もう少し簡単に言えば、「主人公の小規模な世界の問題が、そのまま世界全体の持つ大規模な問題と同じ強さの意味を持つ」といった特色を持つ作品のことで、作品例としては『最終兵器彼女』『ほしのこえ』『涼宮ハルヒの憂鬱』が挙げられています。
セカイ系作品群では主人公を取り巻く環境を具体的に描写されることがほとんどないため、世界を救うことが社会的な自己実現と一致しないことになります。ありていに言えば、自分の知らない誰かのために世界を救うことを目的にしておらず、社会的に承認されるということを求めていません。
かわりに特定の誰か(親族や恋愛感情を抱く身近な人)に無条件で愛されることをひたすら求めていて、宇野常寛はこれを「引きこもり/心理主義」と呼びました[3]。それは同時に、セカイ系作品群には「成長」が描かれない、という指摘にもなります。皆一様に未成年である主人公たちは、無条件に守られた存在でありながら、終末に直面するのです。
[4] 宇野常寛,「ゼロ年代の想像力」,早川書房,(2011年),該当箇所多数
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