LGBTQ差別はなぜレゲエに深く根差してきたのか? ヘイト騒動に巻き込まれたMINMIインタビューも
2022.11.05
現在に至るMCバトルの発展。それは、世代間闘争の果てにラッパーたち自身が掴んだ変革の歴史である。
※本稿は、2016年に「KAI-YOU.net」で掲載されたものを再構成している
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2012年からBSスカパー!ではじまった「BAZOOKA!!!高校生RAP選手権」、そして2015年からテレビ朝日で放映された「フリースタイルダンジョン」の大ヒットをきっかけに、じわじわとその認知度を高めてきたフリースタイル/MCバトルの人気が2016年から大爆発している。
2016年には、『ユリイカ』『サイゾー』『クイック・ジャパン』『ele-king』『WOOFIN’』といったいくつもの雑誌が日本語ラップ/フリースタイル/MCバトルの特集を組み、大手新聞夕刊の文化欄にも日本語ラップを紹介する記事が掲載されている。
同年7月6日の朝日新聞デジタルでは、日比谷野外音楽堂で20年ぶりに開催されたヒップホップの一大イベント「さんピンCAMP20」に出演する複数のラッパーへのインタビュー映像が配信された。
「さんピンCAMP20」に出演する #RYUZO さん #漢 さん #サイプレス上野 さん #田我流 さんからメッセージを頂きました。本編は https://t.co/GCSzf3PFts から視聴できます。(竹) pic.twitter.com/rYJryjt5gh
— 朝日新聞 映像報道部 (@asahi_photo) July 8, 2016
ほぼ同時期に、いちサブカルチャーであるラップ文化をこれだけの多種多様なメディアが取り上げる現象自体驚くべきことだが、さらに地上波TVへもラッパーが続々と進出している。
例えば、2016年には、渋谷のスクランブル交差点付近などで行われている渋谷サイファーの首謀者であるACEが、マツコ・デラックスの「マツコ会議」に登場。アンダーグラウンドシーンで知らぬ者はいない輪入道も、テレビ番組「NOGIBINGO!6」で乃木坂46のメンバーとラップバトルを披露した。
以前から大のラップファンとして知られていたお笑い芸人・若林正恭(オードリー)のハイセンスなラップも、コアなリスナーたちからも注目を集めた。
2016年以降、日本語ラップは何度目かの大きなブームを迎えた。しかし、これまで何度か起きてきたブームと決定的に異なる点がある。
それは、特定のヒット曲やアーティストやグループの人気によって火が付いたものではなくMCバトル、つまりヒップホップという音楽文化のいち構成要素であるラップから派生した“エンターテイメント”が発火点だったということだ。
目次
- 日本のフリースタイルバトルの起源はどこにある? MCバトルの歴史
- KREVAのB BOY PARK3連覇以前と以降
- 妄走族とICE BAHNの対立とは何だったのか?
- ラッパー自身がもたらした、フリースタイルバトルの変革
- 発展を続ける日本語ラップシーン
そもそもフリースタイル/MCバトルは、クラブの現場やラジオ番組でも一般的に行われていたものだった。では、日本のMCバトルの大会のはじまりはいつなのか。
MCバトルの“公式”と呼べるであろう最初の大会は、1999年からはじまったB BOY PARK内のそれであった。
そして、この大会で2001年まで3連覇を果たしたのが、ゼロ年代前半の“ラップブーム”の火付け役の一人でもあり、その後商業的にも大成功を収めることになるKICK THE CAN CREWのラッパー/トラックメイカーであるKREVAだ。
KREVAが3連覇を果たす以前と以降では、ラップスタイルのみならず、大会の興行的性格にまで関係してくるほど、フリースタイル/MCバトルのあり方が大きく変化した。
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