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  • 2022.08.07

日本語ラップとジャパレゲ、数十年に及ぶ知られざる“共闘“史

2022年は、ジャマイカ独立60周年に当たる。ジャマイカから広がったレゲエは遠い日本にも辿り着き、時同じくして日本レゲエの礎を築いたMIGHTY CROWNは結成30周年を機に活動休止を発表。大きな地殻変動を迎えた今こそ、日本においてレゲエカルチャーは再考される必要がある──

日本語ラップとジャパレゲ、数十年に及ぶ知られざる“共闘“史

いまだ冷めやらぬ盛り上がりを見せる日本のMCバトルシーン

まさに群雄割拠の戦国時代であり、日々様々なラッパーたちが様々な話題をタイムライン上にふりまいている。

その中にあって、畑ちがいのレゲエDeeJayたちが、ユニークなムーヴメントを起こしていることをご存知だろうか?

※レゲエの世界ではあの独特な節回しで歌うMCたちのことを“DeeJay”と呼ぶ

一世を風靡したかのMCバトル番組『フリースタイルダンジョン』において初のレゲエ界からの“モンスター”に抜擢されたJUMBO MAATCHの活躍は言うに及ばず、20年近いキャリアを誇るベテランCHEHONも積極的にバトルに参戦。

CHEHON - 韻波句徒 / THE FIRST TAKE

今まで、彼のことを知らなかった層にも急速に認知を広げ、今年5月にはあの人気YouTube番組『THE FIRST TAKE』にも出演。動画再生回数はアップからわずか3ヶ月足らずで早や“1000万回”を突破している。

また、その流れの中でアイドル的な人気を誇る寿君のバトル参戦というサプライズも起こり、先日開催された『渋谷レゲエ祭 vs 真 ADRENALINE』においては強豪DOTAMAを向こうに回し、なんと準優勝を果たす。

【決勝戦】DOTAMA vs 寿君 / 渋谷レゲエ祭 vs 真ADRENALINE #2-

当初こそ慣れないMCバトルに戸惑っていたレゲエアーティストたちだったが、日々スキルが上がっていくのがYouTube越しにも如実に見て取れ、確実にシーンに新たな流れを巻き起こしている……。

そしてベテラン勢のみならず、20代のアーティストもPOWER WAVEMAKAなどが各大会において名勝負を繰り広げ、MCバトルの世界に“RAGGA”の風を吹き込んでいる。

これは単なる偶然の産物なのだろうか? バトルキッズたちが単に目新しいものに飛びついているだけなのだろうか?

答えは「否」である。

そもそもヒップホップというカルチャーはジャマイカンミュージックに大きな影響を受け生まれたもので、よく言われることだが「レゲエとヒップホップは兄弟」。

バトルシーンにおけるレゲエ勢の快進撃は決して「偶然」などではなく「必然」。

そしてこの原稿も単なるレゲエの音楽ライターがその盛り上がりに対して「のっかり」で書いているものなどではない。日本のレゲエとヒップホップはそのはじまりから相互に影響を与え合い、数十年にも及ぶ歳月を「共闘」してきたのだ。

その「証拠」を、時系列順にこれからお見せしよう。

目次

  1. レゲエとヒップホップ、80年代の共闘
  2. 90年代 ラガマフィン・ヒップホップの先駆けYOU THE ROCK★
  3. 90年代 レゲエの現場で力を蓄えたTWIGYたち
  4. 『さんピンCAMP』立役者のECDとBOY-KENは、レゲエ抜きで語れない
  5. あの北海道のレジェンドにも、レゲエの血が流れている
  6. レゲエ用語を盛り込んだ曲で日本初1位を獲ったのはZeebra
  7. 2000年代、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDにも息づくRAGGAの魂
  8. KAANAにケツメイシ。メジャーシーンにもレゲエが躍進
  9. AK-69にTERRY THE AKI-06……受け継がれるレゲエの魂
  10. 2010年代、暗いムードを払拭した名曲
  11. 日本で一番レゲエが盛んな街に、SHINGO★西成あり
  12. J-REXXXと紅桜。レゲエとヒップホップが手を組んだThe タイマンチーズ
  13. ReggaeとHIPHOPのハイブリッド 新星Red Eye
  14. レゲエとヒップホップの共闘の歴史を体現する変態紳士クラブ
  15. ヒップホップの誕生日から、もうすぐ半世紀

レゲエとヒップホップ、80年代の共闘

日本にヒップホップが伝播した80年代。

当時の邦楽では山田邦子「邦子のかわい子ぶりっ子」や吉幾三「俺ら東京さ行くだ」などの諸作品が「歌唱法」としてのラップは取り入れていたが、それが“ヒップホップ”という音楽カルチャーとして認識されていたとは言い難く、“ジャンル”としてのヒップホップの萌芽は85年のいとうせいこう「業界こんなもんだラップ」のリリースを待たねばならない(そう、今年でもう“業界くんから数えて37年”なのだ!)。日本語ラップの起源に関しては諸説あるが、当記事では同作を起点とする。

80年代末から90年代初期にかけては地下シーンにおいて大小さまざまなMCコンテストが開催されていた時代。その中ではラッパーもレゲエDeeJayもいっしょくたになって競合している。文字通り日本にヒップホップの“ヒ”の字も、レゲエの“レ”の字もなかった時代、ヒップホップもレゲエも渾然一体となり“共闘”していたのである

そんな80年代最後の年、89年に日本のヒップホップの草分け的レーベル・MAJOR FORCEより「RUN RUN RUN」で音源デビューしたのが『第2回DJアンダーグラウンドコンテスト』で優勝した東京のレゲエDJ・CHAPPIE(現CHAPPA RANKS)である(ちなみに『第2回DJアンダーグラウンドコンテスト』はスチャダラパーが『太陽にほえろ!』のテーマソングでラップし、審査員特別賞を受賞したコンテストとしても有名)。

“日本のレゲエとヒップホップの繋がり合い”が作品としてフィジカルな形で提示されたのは恐らくこれがもっとも早いであろう。

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CHAPPIE「RUN RUN RUN」筆者提供

CHAPPIEはその後もレゲエ・ヒップホップ両方のシーンで縦横無尽に活躍し、デビューから30年以上が過ぎた現在もアコースティックライブを中心に音楽活動を継続中。

ちなみにあのJ-REXXXも、CHAPPIEが主催したコンテスト『RAGGA CUP』の優勝をきっかけにCDデビューしたレゲエアーティストであり、デビュー作『Mr.NONSTOPMAN』はプロデュースもCHAPPIEが務めている。

90年代 ラガマフィン・ヒップホップの先駆けYOU THE ROCK★

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『HARD MAN FI DEAD』 筆者提供

92年、日本初のワンウェイ・コンピ『HARD MAN FI DEAD』がリリースされる。“ワンウェイ”とは収録されている楽曲がすべて同一のトラックを使用している作品のことで、レゲエ特有の音楽文化のひとつ

同アルバムに唯一のラッパーとして参戦し、レゲエDeeJayのスタイルで見事なトゥースティングを披露しているのが“真っ赤な目をしたふくろう”ことYOU THE ROCK★である。

※この記事は期間限定でプレミアムユーザー以外にも開放されています。

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あの「さんピンCAMP」も、レゲエ抜きで語れない!