「何もかも犠牲にしてもいい。そんぐらいハマったんですよラップに」
2019.08.31
京都の極道の組長の息子で、売人からラッパーとなった孫GONG。
彼のホームタウンを歩く。ゆかりの場所、ゆかりの人物から、その素顔を探る。
クリエイター
この記事の制作者たち
孫GONGと、京都の街を歩く。時折恐る恐る声をかけてくる、若い少年やコワモテのファンらの握手や撮影に応じながら。
「祭りの時とかヤバイすよ。京都の祇園祭、露店よりも俺の前にできる行列のが長い」
さすがに冷静なツッコミを入れたくなるが、屈託のない笑顔と曇りのないその目を見ながら話を聞いていると、不思議なことに本当にそうなんだろうと信じさせる説得力がある。
高校を辞めた孫GONGは、売人としての生業のほかにも偽ブランド品を売りさばいて荒稼ぎしていた。木屋町にほど近い新京極通は主に当時の溜まり場で、ゆかりの場所が多く存在する。
並んでいた女子高生をナンパしていた雑貨屋、今は仲間うちの隠れ家になっている某理容室、かつて偽ブランド品を販売していた店は今や似顔絵チェーンの店舗になっていた。
懐かしそうにそれらを眺めながら、孫GONGは思い出を語ってくれる。すっかり様変わりした街並みは、その目にどう映っているのか。
「京都は昔と比べて良くなってますよ。昔のが良かったとかない。良くしようおもて変わってってるんだから、絶対良くなってるはず。みんな、昔好きだったあの店がなくなったから昔のがよかったって言ってるだけ。ないもんねだりですよ」
京都タワーの刺青を入れるほど地元・京都を熱烈に愛する孫GONGの言葉としては、意外に思える。
「俺は、京都はどんどん進化してくれっておもてる。好きだから。好きなところがちょっと変わろうが、好きじゃないですか? どんなに(街並みが)変わろうが、俺はこの道歩くんが好き」
取材対象:孫GONG 撮影:横山マサト 取材・執筆:新見直
目次
- 売人とバッタもんのブランド販売 極悪な二足のわらじ
- 「死ぬまでおんなじ景色を見ることはない」
- 「ラッパーの間でLSDを広めたのは俺」
- 商売人、だけどケチは嫌い
- 人に優しく
- 豪放磊落、なだけではない孫GONGという男の素顔
京都の極道の組長の息子として生まれ、売人を経て今ではラッパーとして活動する孫GONG。
孫GONGとヒップホップとの出会いは、地元の先輩だった。ガンジャにハマったのと同じ頃、先輩のラップに食らってフリースタイルラップを始めるようになった。
MCネームも、2人の先輩ラッパーから授かった”GONG”と”孫”という呼び名で構成されている。
売人になったのと同じ頃に、BACK BONE(背骨本舗)という地元のクルーに加入し、ラッパーとしての活動も続けていたが、「シャブでヨレててまともにラップしてへんかった」時代が長く続いた。
高校を中退した孫GONGは、先輩たちと「バッタもんの服を売りさばいて」いた。
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