Column

  • 2022.02.26

ラッパーという“キャラクター”とリアルの正体 Moment Joon『日本移民日記』から考える

ことばの”聴こえ”と「キャラクター」との緊張関係。

二つのキーワードから読み解くMoment Joonに求められた「リアル」の正体。

ラッパーという“キャラクター”とリアルの正体 Moment Joon『日本移民日記』から考える

クリエイター

この記事の制作者たち

現代の日本語ラップシーンにおいて、もっとも表現力豊かなラッパーの一人と目されるMoment Joonのエッセイ集『日本移民日記』(岩波書店)では、自身が「キャラクター」として扱われることへの違和感が繰り返しつづられている。

Moment Joon『日本移民日記』 Via Amazon

たとえば彼は映画を日本語吹き替えで観ることを嫌う。それは「『人間ではなくキャラクター』として人を見る態度」が吹き替えの日本語には露骨に現れているからだという※1

※1 『日本移民日記』2021、p.7

目次

  1. 人間をキャラクターと見なす吹き替え表現
  2. ラッパーは、「キャラクター」か?
  3. SITEが語る「日本語ラップとヒップホップ」の区別
  4. 日本語ラップのゲームにエントリーする条件
  5. 「日本語ラップ」は排他性を突破する契機となりうる
  6. 「あなたたちは日本人である」Moment Joonの戦略
  7. ラッパーと「リアル」、逆転する主従
  8. キャラクターのイメージを塗り替えていく

人間をキャラクターと見なす吹き替え表現

翻訳では、映画の字幕や吹き替えにかぎらず、役割に応じてステレオタイプ化された日常会話としては不自然なことばがしばしば用いられる。たとえば、「女ことば」の研究を専門とする言語学者の中村桃子によれば「外国人女性の発言は、日本人よりもずっと典型的な女ことばに翻訳されることが多い」のだという※2

※2 中村桃子『翻訳がつくる日本語ーヒロインは「女ことば」を話し続ける』現代書館、2013、p.4

また、スポーツ選手やアーティストのインタビューでも、対象の人種や性別によってことばづかいが使い分けられている場合はしばしばある。こうした特定のステレオタイプと結びついた、日常的な言語使用とは必ずしも一致しないことばづかいは「役割語」と呼ばれる。老人のキャラクターが、広島や山口あたりの出身でもないのに「わしは〜じゃ」と話したり、「田舎」出身のキャラクターが「おらは〜だべ」といった胡乱な方言を使ったりするというあれだ。

しかし、Moment Joonがここで指摘しているのは、役割語の不自然さではない。彼が厭うのは吹き替えの「声のトーン」や「リズム」の不自然さだ

優れたラッパーとしての”聴こえ”に関する鋭敏さによって、Moment Joonは「スクリーン上の非日本人の人物たちを観客と同じ『人間』として理解させるのではなく、変な世界に住んでいる『キャラクター』として理解するように誘導」する誇張された声のトーンやリズムを持つ「変な国の日本語」、そしてそれによって無自覚に内と外とを線引きしてしまう私たちの態度を暴き出す※3

※3 『日本移民日記』p.8

私たちは、役割語によって「どんなキャラクターなのか」を判断するよりも前に、声のリズムやトーンからシグナルを受け取って、スクリーンに映る外国人たちを、自分たちと地続きの世界にいる存在ではなく「人間ではなくキャラクター」として扱って良い対象なのだと判断してしまう。少なくともMoment Joonにとって、吹き替えの日本語はそうしたものとして受け止められている。

ラッパーは、「キャラクター」か?

こうした吹き替えの日本語に対する批判に納得するか否かについては人によって異なるかもしれないが、「『人間ではなくキャラクター』として人を見る態度」を厳しく問いただすMoment Joonの鋭いことばは多くの読者に突き刺さるものだろうし、突き刺さってもらわねば困るとも思う。そして、「キャラクターとしてのラッパー」という視点で日本語ラップ、あるいはラップミュージックについて考えてきた自分にとって、こうした批判はなおさら無視できそうもない。

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岩下朋世『キャラがリアルになるとき ―2次元、2・5次元、そのさきのキャラクター論』 Via Amazon

とはいえ、Moment Joonが「キャラクター」ということばで捉えようとするのは、目の前の相手とユニークな個人として向き合うのではなく、「外国人」や「在日」といったステレオタイプにはめ込んで理解しようとする(というよりも理解する気のない)視線のことだと思われる。一方で、私が「キャラクター」ということばで捉えたいものは、そうしたステレオタイプにはめ込もうとしても、そこからはみ出してしまうような剰余の部分にある。

そういう意味では、私としてはMoment Joonによる「『人間ではなくキャラクター』として人を見る態度」への批判には、実は同意するところが大きい。ただし、『日本移民日記』のなかでは、ラッパーをキャラクターとして捉えること、あるいはラッパーがキャラクターとして生きることの問題が別の形でもあらわれている。

そこで、この文章では『日本移民日記』を読むことを手掛かりに、「ラッパーをキャラクターとして捉える」ことの可能性と限界について素描しておきたいのだが、さて、その前に少し寄り道することを許してほしい。私にとってMoment Joonが興味深いラッパーである理由を説明するために、「日本語ラップ」ということばについて考えておきたいのだ。

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