はじめての共同作業は「レゴ」だった。「カップルレゴ」のススメ──「レゴ」後編
2022.12.08
逆境から快進撃を遂げた「あおぎり高校」。
少数精鋭の彼らが見据える、VTuberシーンがなくなったその先とは。
クリエイター
この記事の制作者たち
2022年のVTuberシーンを語るに欠かせないプロジェクト「あおぎり高校」。
語るに欠かせない、という意味では「あおぎり高校」は以前にもシーンの中心に近いところへ位置したことがある。
「ゲーム部プロジェクト」の騒動。「あおぎり高校」と同じくBrave group(旧:株式会社Unlimited)が運営していたVTuberグループの騒動は、彼らが快進撃を続けていたグループでもあっただけに、ファンや関係者にも大きな衝撃を持って迎えられた。
一度は存続の危機を迎えたグループを立て直したのが、騒動直後に「あおぎり高校」の運営を引き継いだ株式会社クリエイトリング代表・藤井慎一郎氏だ。聞けば、ヒットを連発するShorts動画の制作にも藤井氏は直接関わっているという。
騒動の渦中、「あおぎり高校」運営の舞台裏ではどのような動きがあったのか。どのような経緯を辿って、それから現在のように存在感を放つまでになったのか。
業界を志したきっかけ、藤井氏から見た各メンバーの素顔。そして業界の因習に対する懐疑まで話をうかがった。
目次
- ゆっくり実況からスタートした動画制作の道
- 現在も制作陣は4人 あおぎり高校の舞台裏
- プロデューサーが語るあおぎり高校各メンバーの印象
- 「転生」についての違和感
- クリエイターのチャンスを潰す「設定」はVTuberに不要
- 常設オーディションの倍率1000倍の高き壁とその背景
- あおぎり高校が終わったその先
藤井慎一郎 (音霊)魂子、どうでした? 良い子ですよね?
──とても前向きな答えをしていましたね。
藤井慎一郎 素でああいう子なんです。取り繕っているところがないし、裏表がないので我々としても一緒に仕事がしやすい。
うちの事務所としても自信をもって送り出せる、自慢の演者さんですね。
──こちらでは藤井さんについてのお話を聞ければと思います。藤井さんは現在はキャラクター事業に就いて活動していますが、昔からアニメや漫画はお好きだったんですか?
藤井慎一郎 いえ、違いますね。ただ、一度ハマるとずっと続けてしまう凝り性な部分はあったと思います。
子供の頃はバスケットボールを続けてそれなりの成績を収めていて、中高は一貫校に通っていたんです。その頃に「YouTubeでお金を稼ぐ」いわゆるYouTuberが出てきて、自分と歳が変わらない方々が活躍されているのを見ていました。
高校にあがったタイミングでバスケに飽きてしまって、バスケ部を辞めて生徒会に入ってみたところ、そこの方々にいわゆるオタクコンテンツをいろいろと教えてもらったんです。
──当時はどんなものを生徒会の方々と楽しんでましたか?
藤井慎一郎 ニコニコ動画がすごく流行っていた時期だったので、二次創作が盛んだったボーカロイドや東方Projectにハマったり……この頃はまだ視聴者側として楽しんでましたね。
そこから一浪したあと関西大学に入学しました。ある時、例大祭を終えた東方のZUNさんとビートまりおさんが、ニコニコ動画でお酒を飲みながら後日談を語る生配信を観ていて、「いつかこういう人たちとお酒が呑めるクリエイターになりたい」と思って、関西大学のゲーム制作サークルに入ったんです。
──ここでモノづくりに足を踏み入れていったんですね。
藤井慎一郎 とにかく何でもやろうと思って、プログラミングをやったり、DTMでBGMをつくったり、ペンタブを買ってイラストを描いてみたり。
当時はZUNさんに憧れてゲームをつくろうと思ってました。でも就職するタイミングで気づいたんです。「そもそも自分、ゲームにハマったことないじゃん」と(笑)。
大学のサークルを通じて出会ったゲームクリエイターになった人を見ていると、誇張抜きにして1年に何百本とゲームをプレイするくらい好きで、ゲームについても「もっとこういう風にしたほうがいい」と考えられる人たちがたどり着ける場所だと、身に染みて理解したんです。なので、学んだプログラミング技術を活かしてSEとして会社に就職したんです。
──SEとして就職するとなると、ますますVTuber事業に繋がる道筋が見えないですね。
藤井慎一郎 ただ、就職した後に「何かしたいな」と思っていて、YouTubeで個人の活動をするようになったんです。
仕事以外の面で、自分が1からつくったものに対する「イイネ!」が欲しかったとか、そういう単純な気持ちからですね。それが2017年の春頃で、ゆっくり実況動画をつくって投稿してました。仕事をしながら制作して、週に2本・土日に投稿できるペースでずっとつくってました。
──YouTubeチャンネルをつくって毎週動画投稿していく、それもハイペースな創作活動ですね。
藤井慎一郎 YouTubeからお金が入ってきた時の喜びはたまらなかったです。
そうして活動していたとき、魂子をスカウトした前の社長から僕に電話がきたんです。実は彼は、関西大学時代の後輩だったんですよ。
──なるほど、後にいなくなってしまう前社長とはそういう繋がりだったんですね。
藤井慎一郎 同じサークルで顔も知っていたし仲が良かったんですよ。「『ゲーム部プロジェクト』をやっている会社の代表から声がかかって、僕もそのグループ会社の代表として新しくVTuberをやろうと思っているんですけど、先輩一緒にやりませんか?」と。
急ピッチで人集めをしていて、社会人になっても動画制作をしている自分にピンときて、動画編集者として声をかけてくれたんです。「YouTubeで仕事ができるようになったらいいな」と思い、僕も話を聞いて一か月で会社を辞めて上京することにしました。
──魂子さんに声がかかったのも夏頃だったようですし、かなり急ピッチで進んでいったのがわかります。
藤井慎一郎 立ち上げ準備から始動まで2か月あったかなかったか、くらいですね。
2018年10月からあおぎり高校に動画編集者として参加していて、今のBrave groupになる前の前の会社、株式会社バーチャルユーチューバーの時代から在籍しているので、古株も古株ですね。
──魂子さんからは「Shorts動画は社長が台本を書いている」というお話がありましたが、どの程度関わっているんでしょう?
藤井慎一郎 今ですと、台本を書いて、収録に立ち会って「こんな風に動いてほしい」「こう録ってほしい」という指示出しをして、撮影したデータをもらって編集し、YouTubeチャンネルの投稿までやってます。
──今でも編集をされてるんですか?
藤井慎一郎 そうですね。昔はもうちょっと違って、声をかけてくれた後輩もゆっくり実況者だったので動画編集ができるし、あと何人かゆっくり実況者畑の面々がいました。
当時は株式会社バーチャルユーチューバーのいち部署であって、ひたすらにクリエイターをかき集めた感じのスタッフでした。この頃に投稿されたのが『大乱闘スマッシュブラザーズ』の実況や解説動画ですね。
この頃は動画クリエイターが4人いて、それぞれに分担していた、という感じです。自分はゲーム実況をあまり知らなかったので、他の動画で台本を書いたりとか。
──当時の風景が見えてきました。
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