Creepy Nutsの世界的ヒットは、なぜ“日本語ラップの偉業”として語られないのか?
2024.10.18
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この記事の制作者たち
2002年、新潟県で生まれた少年は、やがてヒップホップと出会い、ラッパー「Yvng Patra」として瞬く間に全国区の存在となっていった。
2023年には20歳を迎えて2ndアルバム『20』をリリース。翌2024年リリースのEP『4 MY CULT』では、ジャージークラブやダブステップ、「City Flag」ではドラムンベースなど、ダンサブルなビートの上でも自在にラップを繰り出すスキルフルさと、アグレッシブなリリックが特徴的だ。
国内最大級のヒップホップフェス「POP YOURS」では、同じく現在のヒップホップシーンの筆頭注目株であるKaneee、Kohjiyaと3人でオリジナル楽曲「Champions」をリリース。盟友・Oddy Lozyとタッグを組んだ「Red Bull 64 Bars」でのラップも注目を集めた。
ユースを代表するラッパーとして存在感を強めているYvng Patraは、家庭にも、地元にも、一言では言い表せない複雑な感情を抱いてきた。
今、彼が語ることとは──。
目次
- 地元や家庭への違和感──少年は新潟を飛び出してラッパーに
- クルーとしての経験が、今の「Yvng Patra」を形成している
- 20歳になって変わった、音楽をつくる理由
- 自然と湧き出てきた複雑な感情を乗せて──
- Yvng Patraの、インスピレーションの源泉
──ヒップホップに出会うまで、どんな少年時代を過ごしていましたか?
Yvng Patra 小さい頃は何にでも興味津々で、生き物がめちゃくちゃ好きでしたね。図鑑も持ってたし、絵を描くのも好きで動物や魚とかを模写してました。家庭環境も良い方じゃなかったし、親がいないことが多かったから、何かしらに没頭したり興味を示したりするようになったのかな。
──ヒップホップに初めて出会ったのは?
Yvng Patra 小学校の5,6年くらいの時に、ANARCHYさんの「Moon Child feat. KOHH」に衝撃を受けました。まだサブスクとかも流行ってなかったから、今では申し訳ないと思うけどYouTubeとかの違法アップロードで聴いたんだと思います。
そこから、自分でもラップを始めたのは中学時代。1年生あたりまではキンキンに高い声だったんですけど、変声期を過ぎてから、ラップやってた友達に「いい声なんだしやってみなよ」ってすすめられて。たしか、東京にライブを観に行った帰りのホテルで、勢いで携帯を使ってラップをレコーディングしたのが最初でした。
──ラップを始めた当時、地元・新潟にストリートカルチャーはありましたか?
Yvng Patra 地元じゃヒップホップは全然流行ってなくて。ハコもあんまりなくて、あるとしても未成年も入れないし、東京みたいに頭を使おうとすることをあんまり知らないから(未成年だけど何とかして)クラブ行こうとするようなヤツもいない。俺は、駅裏にたまってスケボーしてるヤツらと一緒にサイファーしたりしてました。
──コミュニティみたいなのはあったんですか?
Yvng Patra 今はあります。全員年上なんですけどめちゃくちゃ仲良くて。 当時遊んでた友達とか一緒にラップしようって言ってた友達とかは気づいたらいなくなっちゃってましたね(笑)。
──ヒップホップクルー・Xgang(クロスジヒトリ)の加入は、その後ですか?
Yvng Patra そうですね。SoundCloudに曲をアップしてたら、同時期に活動してたヤツらをお互い発見して繋がり始めて。もともとの友達もいて、みんなで遊んだ時に「おまえも入れよ」って誘われた感じだったと思うっす。それがきっかけで、加入して数ヶ月後にはもう、ラップするために東京で暮らし始めました。
──新潟でラップをするという選択肢はなかった?
Yvng Patra なんだろう、嫌いとまではいかないんですけど、地元にはモヤモヤしてたところがあって。それは家庭に対しても同じ。
それに、音楽ってどこにいてもできると思うんですけど、やっぱり地方にとっては東京って一種の憧れでもあるし、東京で戦ってみたいなっていうのはみんな多分あると思うんすよ。
──それで上京して、本格的にラッパーとしての活動を始めたんですね。新生活と音楽との両立は大変でしたか?
Yvng Patra まず金がない。でも、ヒーヒー言ってたらこっちに来た意味がないんで、どうサバイブしていくか頭を使って苦労しながらもちゃんと曲をつくってました。覚えてるのは、宅配ピザの単発バイトをやってみたらバイクで事故っちゃって、心が折れかけたちょうどその時、サブスクの再生数が伸び始めたんですよね。
最初は本当に、サブスクからの収入なんて数千円程度だったけど、それから曲を出すごとにだんだん伸びていって。意外と見つけてくれるもんだなって実感することはあったけど、正直まだ満足したことは一度もなくて。毎回「次はもっといけるはず」の繰り返し。手応えを感じられたとしてもライブの誘いやお客さんの反応、東京に来て一緒にいたみんなとか、すべて積み重ねのおかげ。
──クルーとしての経験は、Yvng Patraさんの活動に生きていますか?
Yvng Patra そうですね。ステージに1人で立つのと、大人数で立つのとでは全然違うし、ルーツになる部分だったり、「カッコいい」と考えるものの基準みたいなのが、一緒にいると似てくると思うんですよね。
──仲間と過ごした時間が今の手応えにつながっているんですね。一方、ソロでも大きく道を開いていくとなると、活動の足並みが揃わなくなることもあったのでしょうか?
Yvng Patra 仲間との視点の違いに迷ってしまうことも、あるにはありました。
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