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  • 2020.06.03

「アニメ脚本家」になる方法 実写から転身するために打った博打 

毎年のように一般参加できる公募が行われる実写と比べて、実は、アニメ作品の脚本家になる方法というのは、あまり一般化されていない。

若手脚本家が、自らのキャリアから忌憚ない実情とアドバイスを語る。

「アニメ脚本家」になる方法 実写から転身するために打った博打 

(C)葵せきな・仙人掌・KADOKAWA ファンタジア文庫刊/ゲーマーズ!製作委員会

年々増えていくアニメのタイトル数。昨今では新型コロナウイルスの影響で放送延期の報道も飛び交っているが、テレビ・劇場・Webとまだまだアニメの勢いはとどまるところを知らない。

では、そんな多くの作品の中から、アニメファンが視聴する作品の決め手にするのはどこだろうか。キャスト、制作スタジオ、原作……いろんな要素の中でも特に議題にされるものの一つに、脚本家という要素がある。

原作ものならばそのアレンジの仕方、オリジナルならばそのストーリーの作り方。数多くのアニメタイトルにおいて、脚本家の執筆したシナリオに注目しているアニメファンは少なくないだろう。もちろん、数々の作品を観て、アニメ脚本家を志す人も少なくないはずだ。

しかし、実写の脚本家やゲームシナリオライター、小説家などと比べて、アニメ脚本家はやや毛色が異なり、あまり門戸が開かれていない。新人賞もほぼないに等しい。では、アニメの脚本家にはどうやってなるのだろうか……?

本記事ではそんなアニメ脚本家へのなり方を、実写、小説とジャンルを問わず活躍する新進気鋭の脚本家・内田裕基さんにインタビュー。自身が手掛けた作品の経験も触れながら、あまり知られていないアニメ脚本家の仕事についてうかがった。

取材・文:羽海野渉=太田祥暉(TARKUS) 編集:新見直

目次

  1. 「オタクっぽい目線はあまり作品づくりには必要ない」 『ウルトラマンX』で脚本家デビュー
  2. 博打で掴んだ初シリーズ構成──『ゲーマーズ!』での経験
  3. 脚本の書き方 内田裕基さんの場合

「オタクっぽい目線はあまり作品づくりには必要ない」 『ウルトラマンX』で脚本家デビュー

内田裕基さん/本人提供

内田裕基さん/本人提供

──まず、内田さんはなぜ脚本家という職業を志されたのでしょうか。

内田裕基(以下「内田」) 小さい頃から物語に興味があったんです。でも、最初から脚本家になりたいってわけじゃなくて、小説も書きたかったし、漫画も描きたいな、なんて思っていました。

漠然と脚本家という職業を志したのは、中高生の頃ですね。ふと、特撮番組の再放送を観たら、子どもの頃とは違う印象を受けたんです。

──違う印象といいますと?

内田 特撮っていうとどうしても、最初は子ども向けとかそういう認識があるじゃないですか。でも再放送で観てみると、大人が観ても面白いドラマが描かれているんだなと感じたんです。そのときに観ていたのは初代の『ウルトラマン』だったんですけど、色々興味が湧いて、そこから平成シリーズまで観始めました。

──最初は、特撮の脚本家になりたかったんですね。

内田 そうですね。でも、当時はまだ中学生くらいなので、そこから色々な作品を見るようになっていって、特撮だけじゃなくて映像作品全般が面白いぞと知り……。それなら、脚本家になっていろんなジャンルの作品に関わってみたいなと思ったのが、今の仕事になったきっかけでしょうか。

──内田さんは『ウルトラマンX』でデビューされていますが、きっかけと同じ特撮作品ですね。

内田 実は、デビューは二回あるんです。一回目が学生時代、半分インディーズというか大学のプロジェクトで撮影したもので……といっても自分の通っていた大学のものではなかったんですけど(笑)、今それが世の中には出ていないので、『ウルトラマンX』が脚本デビュー作ということになっています。

──『ウルトラマンX』は長寿シリーズの作品ですが、そこでデビューされるまでには紆余曲折があったのでは?

内田 高校時代から脚本家になりたいなと考えが定まった高校時代に、ちょうど小林雄次さんという方がエッセイ集を出されたんです。

──小林さんというと、それこそ「平成ウルトラ」シリーズを手掛けられた方ですよね。

内田 そうです。それで刊行記念イベントが新宿で開催されると聞いて、足を運んだんですよ。そうしたら運良く顔を覚えられまして。たぶん、若い人でも脚本家になりたいと思っている人はたくさんいるんですけど、自分から「なりたいです!」って声を挙げる人が少なかったから覚えてもらえたんだと思います。

そこで顔を覚えてもらったこともあって、小林さんがやっていた日本大学芸術学部の授業にも、友人を伝って潜り込んでいたんですよね。そうしていたら、映画監督の梶研吾さんを紹介されて。

──梶さんも、平成ウルトラシリーズを手掛けられた方ですよね。

内田 知り合ってすぐ、梶さんが大学の教授をやることになりまして。ちょうど自分の通ってる大学と最寄り駅が同じということもあって、「暇だったら遊びに来てよ」と呼ばれたんです。その頃は大学二年生だったんですけど、知らない大学に潜入して梶さんの自主映画作りを手伝ってました(笑)。

そうしていたら、その大学で映画をつくるよということになって、僕が自主映画のコンクールで結果を出しているのを知っているからか参加させていただいたんですね。それがデビュー作の実写映画でした。

──人との出会いが、脚本家デビューに深く関わっていった。

内田 ウルトラシリーズに関わることになったのも、特に梶さんの影響が大きいです。映画をつくったあとに、梶さんが『ウルトラマンギンガ』の監督をされることになって。あるとき、「君とレギュラーキャストの男の子が似ているんだけど」っていう理由で現場に誘われたんです。結果、全く似ていなかったんですけど(笑)。

そんなきっかけだったんですけど、そこで現場のいろんな方々と挨拶することができたんです。そうしていたら、新しいウルトラシリーズの企画コンペに助監督の方が僕を推薦してくれて、その結果、コンペに通って脚本家デビューすることができました。

──そういった企画コンペは、どなたかスタッフの紹介がないと参加できないのでしょうか?

内田 基本的にはそうですね。僕の場合は助監督さんやメイキング担当の方が推薦してくださったので参加できましたけど、プロデューサーさんや監督さんが個人的に呼びたいって人がいたら参加できるときもあります。最近だと、『ウルトラマンジード』でメインライターを担当された乙一さんなんかがそうだと思います。

でも、基本的にコンペはスタッフさんとの交友関係がないと呼ばれないので、コネクションが大事になってくるのかなと思います

──コンペを受けるに当たって、小林さんや梶さんから具体的に教わったことはありますか?

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