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  • 2021.12.18

すべては「KOHHとの約束だった」音楽業界引退の真相について、プロデューサー高橋良が語る

キャリアの絶頂で引退する、という試み──

すべては「KOHHとの約束だった」音楽業界引退の真相について、プロデューサー高橋良が語る

長年、KOHHのクリエイティブ・ディレクター兼プロデューサー「318」として活動してきた高橋良。彼は、KOHHの引退と同時に、音楽業界からの引退を表明している。

現在は、映画鑑賞のための一晩1組限定のホテル「TEATHER 1」を経営。音楽業界を離れる氏がなぜホテル業を経営することにしたのかについては「KAI-YOU.net」にてご紹介した。

そもそもなぜ、彼は音楽業界を辞めるのか? 「KOHHと約束をしてました」と彼は言う。

KOHHの引退と高橋良の音楽業界からの離脱は、すべて繋がっている。その全容について、彼は語ってくれた。

目次

  1. やりたいと思ってヒップホップをやっていたわけじゃない
  2. ヒップホップ冬の時代、高橋良の戦略
  3. 10代で学んだ「安く仕入れて高く売る」
  4. KOHHのプロデュースは、兵法にあり
  5. すべての始まりは、KOHHとの約束
  6. 「KOHHとしての引退」の真相
  7. サイゾーから「王子復興財団」に?

やりたいと思ってヒップホップをやっていたわけじゃない

──音楽業界から離れつつある今、ホテル業だけではなく、コンサル事業を始められていると聞きました。

高橋良 CBDのディスペンサリーであるVapeManiaさん、他数社のコンサルティングを請け負ったりしています。

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「TEATHER 1」のある檜原村で仕事をすることの多い現在。「ここは寒いんで、毎朝焚き火を炊いてあったまってます」

──そうなんですね! 音楽プロデューサー「318」としては過去に何度か音楽媒体でインタビューが掲載されていますが、「高橋良」として取材させてもらうのは初めてであるように思います。

改めて、現在に至る経歴についてうかがわせてください。キャリアのスタートはDJですよね?

高橋良 実は、もともとデザイナーになろうとしていたことがあったんです。

音楽にも興味があって、ターンテーブルを買ったのとデザインの専門学校に通い始めたのがほぼ同時期。それで2001年に、研修旅行のような形で初めてNYに行きました。

自分の中で絵画の知識は印象派で止まっていたんですけど、MoMAとか美術館を回ってマーク・ロスコの作品を見たり。視界が埋め尽くされるほど横に長い真っ赤な作品を観て「え? これは絵画なの?」って衝撃を受けたり。向こうのアートにも食らったのは確かです。

けどそれ以上に、ヒップホップというカルチャーを生んだNYに影響を受けて。友達と研修を抜け出して「絶対行っちゃいけない」と言われていたハーレムにも行って、「やっぱヒップホップすごいな」と思ってそっちに興味が向いていきました。

──それでアートではなく音楽の道に。

高橋良 ただ、正直に言うなら、僕はヒップホップにすごい感動を受けて始めた、というわけでもなくて

まだ高校生だったから、どうやったら20代で金持ちになれるか、女にモテるか、という安直な発想ではあったんですよ。

音楽プロデューサーって儲かってそうだから一発当てたいと思って、でも楽器ができるわけじゃなかったから「DJならできるんじゃないか?」と。

もちろんそれを20年もやっていたので、やってるうちに好きにもなりますけど。

──「ヒップホップをやりたい」というのが最初の動機だったわけじゃない。

高橋良 日本語ラップにも好きなものもありますけど、元々あんまり聴かない。NYでの経験もあって、聴くのはほとんどアメリカのヒップホップなんです。

黒人の貧困層が若くして成り上がるには、本当に漫画の世界のように、バスケット選手になるかラッパーになるかギャングになるか、くらいしか方法がなかったからみんなラップを始めたわけで。彼らもラップが好きだとかそういうモチベーションじゃないんですよ。

だから、Diddy(ショーン・コムズ)がウォッカの「シロック」と契約して、人脈を生かしてラッパーのMVやクラブにプッシュしたりとか、Dr.DreがBeatsやってたり、ジェイ・ZがTIDALやArmandをやってたり。

向こうには音楽家兼実業家が多いですよね。

──動機が動機だから、ちゃんとビジネスに結び付いていると。

ヒップホップ冬の時代、高橋良の戦略

高橋良 ちょうど僕がKOHHのプロデュースを始める2012年って、ヒップホップはすごい低迷期でしたよね。

──「冬の時代」と言われています。

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高橋良 今から考えるとそれもわかるんです。

──どういうことですか?

高橋良 遡ると、まず日本のパイオニアたちによってヒップホップが少し盛り上がって、特にその次の世代が頑張ったんですよね。ZeebraさんとかOZROSAURUSとか。Brooklyn YASさんやRIKOさんのような優秀な裏方もいました。

「あごあしまくら」をもらって地方に遠征するスタイルはKAMINARI-KAZOKUがつくったとも言われていますが、僕はどうやったらアーティストの知名度が上がるか、どうやったらCDが売れるかを探求していった。そうして徐々にプラットフォームみたいなものができて、CDが爆売れするようになった。

NYにならって、僕はブートでミクステを出すようにしたんですが、当時めちゃくちゃ売れたんですよね。それも多分、上の世代がそういう土壌をつくってお客さんまで育っていたからだと思うんです。

ただ、その後があんまり良くなかった。

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