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  • 2025.05.03

『ブルーアーカイブ』エデン条約を紐解く──虚無感の中で人々はいかにして連帯するのか

社会についてありえたかもしれない別の可能性を思索することをやめるべきではない。人の幸せを願うことができるのは、人だけなのだから。

自身でもゲーム制作に携わる批評家・米原将磨が『ブルーアーカイブ』は「エデン条約編」でどのような達成を成し遂げたのかを読み解く。

『ブルーアーカイブ』エデン条約を紐解く──虚無感の中で人々はいかにして連帯するのか

前編では『ブルーアーカイブ』のイラストがACGカルチャーに新しい様式を提供したことを見てきた。次は、その物語が提示するACGカルチャーの可能性について分析したい

『ブルーアーカイブ』はエデン条約編でどのような達成を成し遂げたのか

『ブルーアーカイブ』が韓国政治史を参照していたことについてはすでに触れた通りだ。韓国のグローバル向けコンテンツは、当人たちはほとんど意識していないとしても、韓国独自の価値観が物語の構成そのものに影を落としていることが多い

私がこうした分析で参照しているのは、フレデリック・ジェイムソン『政治的無意識』(1981)とトマス・ラマール『アニメ・エコロジー』(2018)だ。作品は社会のもつ歪みを表現する。それを解きほぐすには、作品がどのように構成されているかと、作品の背景にある社会や経済構造がどうなっているかの両方の観点での分析が必要だ。

同時に、私たちは作品が社会に影響を与えてしまった事例や可能性を踏まえつつ(※1)今の社会についてありえたかもしれない別の可能性を思索することをやめるべきではない。こうした視点で、『ブルーアーカイブ』を見てみよう。

不知火カヤのクーデターは、韓国政治史を参照しているため、とても重要なテーマのように思える。とはいえ、このクーデターは韓国が1980年代に抱えた検閲と経済成長の歪みについて、民主化した現代の韓国の方がよいという価値観を繰り返すばかりであり、この物語がユンのクーデターの失敗を生んだ、などとはとても言えない。

私の考えでは、『ブルーアーカイブ』には、ACGカルチャーに新しい様式を投げつつ、他のアジア諸国も我が身に置き換えて再現できるような可能性を秘めている物語がある。それはメインストーリーのうち、「Final.」を冠し現在のところメインストーリー最終章とされている「あまねく奇跡の出発点」以外では、最大の長編である「エデン条約編」だ。

【ブルアカ】「エデン条約編」PV

『ブルーアーカイブ』の中でもとりわけエデン条約編が評判となりアクティブユーザ数が増加したこと、あるいは、宣伝コストがかけられことは、多くの記事からうかがえる(※2)

そこで、『ブルーアーカイブ』のisakusanを中心とした脚本チームがエデン条約編でどのような達成を成し遂げたのか見ていこう。以下は、エデン条約編の内容を知っていることを前提とするため、未見の読者は「付録」に私がまとめたあらすじがあるので参考にしてほしい。

※1:文学が民主主義に奉仕するといった左派的ロマンティズムでも、教育勅語が国家繁栄をもたらすといった右派的スピリチュアリズムでもない。私はここで、ポケモンショックのことを言っている。ポケモンショックは一部の子どもたちに生理学的なダメージを与え、現実の行政を動かした社会的な事件というだけでなく、それがアニメーションのつくり方にも影響を与えた。詳しくは以下を参照のこと。トマス・ラマール『アニメ・エコロジー』、上野俊哉監訳、名古屋大学出版会、2023年、第Ⅰ部第1章。
※2:ジスマロック、「『ブルーアーカイブ』の「エデン条約編」がめっちゃ面白い。明るく楽しい日常が描かれていた作品に突如として現れる殺人、死、裏切り、抗争……!?」、電ファミニコゲーマー、2022年4月1日。 (外部リンク) 先に引用した林東国の論考も、基本的にはエデン条約編について論じられたものだった。

目次

  1. 『ブルーアーカイブ』はエデン条約編でどのような達成を成し遂げたのか
  2. 韓国コンテンツに大きな影を落とす北朝鮮という存在
  3. 現代韓国の宗教文化と、それを積極的に取り入れてきた韓国映画たち
  4. 韓国の思想的流行──ニヒリズムと同情について
  5. おわりに──ACGカルチャーは、互いを祝福しながらみなでつくり上げる文化
  6. 付録: エデン条約編のあらすじ

韓国コンテンツに大きな影を落とす北朝鮮という存在

エデン条約編は、2010年代の韓国の政治風景をふまえると、キム・デジュンに始まる太陽政策、ムン・ジェイン政権下での南北首脳会談などの対北融和を背景とした、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の統一問題が扱われているとひとまず考えられるだろう。エデン条約編はトリニティとゲヘナの講和条約ではあるが、ストーリー後半はトリニティとアリウス分校の融和の問題だけが焦点になっていると言ってよい。

そもそも、アリウス分校が「分校」であるのはトリニティとの対立がきっかけであり、聖園ミカはトリニティと共通した教育がかつてアリウスでもされていたことに蓄音機を発見することで気づく。アリウス分校の名前のもとになった史実の「アリウス」は、4世紀の頃に広まった「イエスは神の被造物である」という教義をもち、正統派教会から破門された。

なお、トリニティが三位一体を意味し、父=神、子=イエス、聖霊はすべて同等であるという考えに対して、アリウス主義は先のような教義を唱えた異端だった。『ブルーアーカイブ』のストーリーでこの名前をもつ集団が対立しているのは、キリスト教の教義対立をもとにしていることは明らかだろう。

これは元は同じ共同体だったが、思想のすれ違いで分離してしまった、という韓国と北朝鮮の関係と相似形となる。トリニティとアリウスを、韓国と北朝鮮の関係に置換すれば、ソ連に支援された共産党イデオロギーによって同じ言語と歴史を共有した民族であるにもかかわらず、南北に分断されてしまったことがそのまま示されている。

韓国コンテンツでは、北朝鮮という存在が大きな影を落としている。宥和政策に関係するところで記憶が新しいところで言えば、TVドラマ『愛の不時着』(2019)が大きな話題になった(※3)。北朝鮮の将校と財閥令嬢の恋愛を描いた同作は、物語の最後に、二人は韓国と北朝鮮でそれぞれ暮らすことを選択し、中立国のスイスで年に一回だけ逢瀬を重ねることになる。

『愛の不時着』予告編 - Netflix

2018年に、当時、ムン・ジェインが韓国の大統領として11年ぶりに、北朝鮮の最高指導者である金正恩と「平和の家」での対談を実現した。「平和の家」は韓国側の施設であるため、北朝鮮の首脳は建国後以来、初めて韓国の領土を踏んだ。直接の因果関係はないものの、大統領がこうした行動をとることが支持率につながると考えるほどに、2010年代後半から2020年代前半にかけては、『愛の不時着』を代表として、北朝鮮内部で正義を貫こうとする人々が描かれるコンテンツが映像化されることが多かった(※4)

isakusanがインタビューで、『ブルーアーカイブ』を構想するとき、「どうしても私は当時はやっていた陰鬱なポストアポカリプス的世界に迎合したくなかった(※5)」と述べていたことや、発売年を考えると、2010年代中頃には少なくとも制作を始めたことがわかる(※6)。よって、『ブルーアーカイブ』はそうした北朝鮮という存在を意識した韓国コンテンツと並行して考えることができる。ただし、ここで他の作品と異なる独自性とは、トリニティとアリウス分校のように、韓国と北朝鮮の関係を宗教モチーフに転換していることだ。

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