LGBTQ差別はなぜレゲエに深く根差してきたのか? ヘイト騒動に巻き込まれたMINMIインタビューも
2022.11.05
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──なぜ人は格闘技を見るのだろうか。
20世紀末前後、格闘技は日本を熱狂させていた。立ち技最強を決める興行"K-1"の勃興から、地上最強を決める"PRIDE"の誕生。人々はリング上の戦いの決着を今か今かと、会場で、あるいはテレビの前で待ち構えていた。しかしそれから約20年、すっかり格闘技の存在感は後退していた。趣味やライフスタイルの多様化、インターネットやスマートフォンの一般化による「みんなが同じものを見る経験」のシュリンク。かつての格闘技への熱狂はすっかりなくなってしまったように見えた。
しかし、今、格闘技は急速に息を吹き返している。その根本的な要因は、格闘家がYouTubeを発見したということにある。そしてそれは、ある格闘技興行の根源的ジレンマにかかわることでもある。どういうことか?
執筆:村上裕一 企画・編集:和田拓也
目次
- “最強”という言葉は呪われている
- 井上尚弥がはらむ、“最強”の限界
- 格闘家が適応した、物語を加速させるYouTube
- 朝倉未来の台頭は何を意味するか
- 格闘家と他のYouTuberの“日常” その決定的な違い
- コンテンツの独立性を補った朝倉未来の発明
- 格闘家には、“物語”を背負う権利がある
- 格闘技に起きている、話題とジャンルの交流
格闘技興行の根源的ジレンマは、最強を決める競技であるにもかかわらず、強いだけで人が注目するとは限らない、ということである。人が注目するとは限らないというのは、ニアイコール、興行を運営するのに十分な資金が用意できるかわからない、ということである。国家が関与するオリンピックなどとの大きな違いがこれだ。
ここで冒頭の問いに戻る。なぜ人は格闘技を見るのか。その理由は極端に言えば二つしかない。一つは、最強の選手が戦う様子を見たいから。もう一つは、思い入れのある選手が勝つか負けるかを見届けたいから。
この「最強」という言葉は呪われている。『グラップラー刃牙』の思想ではないが、男であれば誰しも最強という言葉に憧れたことがあるだろう、と言えるくらいには最強という言葉にはフックがある。しかしそれは、同時に、最強以外がほぼ無価値だということを意味する。あなたは世界のボクシングのランキング一位の選手を何人知っているだろうか。ほとんど知らないだろう。
パウンド・フォー・パウンド(PFP)という概念がある。これは異なる階級の選手たちを、もし体重差がなかったらと仮定した上で最強を決めるための枠組である。なんと今、このランキングの世界一位にカウントされている日本人選手がいる。井上尚弥である(2021年3月、米専門メディア・ボクシングシーン。『The Ring』誌では2位、「ESPN」では3位)。
皆さん、今日は本当に熱い声援ありがとうございました。
苦しい場面が山程ありましたが皆さんの声援で持ち堪えることが出来ました。
このFINALでドネアと戦えた事を誇りにこれからも精進して頑張って行きますので引き続き応援宜しくお願い致します。また落ち着いたら更新しますね! pic.twitter.com/OpVFXXjlRw
— 井上尚弥 Naoya Inoue (@naoyainoue_410) November 7, 2019
井上尚弥の名前は、ボクシングを知らないものでも「聞いたことがある」という人が多いだろう。ボクシングには世界団体がいくつかあるが、そのうち二つの世界王者となり、今、三つ目の王冠に手をかけている。記録上も世界最強を証明しそうだが、すでに実力では現役の世界最強と評価されているのである。この評価は、歴史上の日本人格闘家の中でも最高のものと言える。
だからこそこう言わざるを得ない。そんな歴史上最高で、PFP1位で、現役の日本人最強選手であっても、この程度の知名度に過ぎないのだと。井上は、強さだけで得られる知名度や名誉の天井を体現していると言える。
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