若いオタクはアニメからVTuberに流れたのか? 7つのポイントから考察
2022.07.31
10年前、練馬から「悪党の詩」が叫ばれた。「悪党が奏でるこの歌が/全土にばら撒かれ」た結果、大阪の少年は立派な悪党に育って、10年越しにその背中に追いついた。
これは、継承の物語である。
クリエイター
この記事の制作者たち
D.OとRed Eyeによる初対談。司会はどちらのこともよく知る漢 a.k.a. GAMIだ。
テキーラを煽り、極上のヘネシーとシガーに耽る仲間だけのスモーキーな密談にいよいよ拍車がかかる。
2012年にリリースされた、D.Oを象徴する曲の一つ「悪党の詩」。
中途半端が嫌いで、とことんまで考え詰める性格だったため周囲に溶け込めず、父の影響もあって不良の道を突き進んでいったRed Eye。
その先には極道か半グレしかなかったはずの道に、「悪党の詩」でヒップホップという光が差した。
その音楽、その思想はRed Eyeの深いところに根を張っていった。不良になるか、ラッパーになるか──2つの選択肢を前に、Red Eyeは覚悟を決めて音楽の道を歩み始めた。
そこからの活躍は周知の通り。「高校生RAP選手権」で知名度が全国区になり、10代にしていくつものアンセムをリリース。『Nakid Fact』『少年A』『POCKET』『Dear Family』……第一線で活躍する猛者揃いのラッパーを客演にも迎え、ワンマンツアーも完遂。
リリースからちょうど10年後、Red Eyeは、ヒップホップを始めた時から心に決めていた「いつか『悪党の詩』をリミックスしたい」という思いを実現させる──それも、D.O本人を客演に呼んだ最高の形で。
2022年、「悪党が奏でるこの歌が/全土にばら撒かれ」た結果、一人の悪党が立派に育ってその背中に追いついたのだ。
撮影:I.ITO 照明:HighUnitTokyo 協力:9SARI CAFE & BAR
目次
- 「悪党の詩」の背景を理解するには、D.Oの“悪さ”について語らなければならない
- 10年前「一人で行くところがあるんだ」と歌った男は、10年越しに追いかけてきた青年と出会う
- 「こんなこと、超ヒップホップじゃない?」
- 受け継がれる遺伝子──「今語らないラッパーなんて、いなくなってしまえって話!」
- ラッパーとして踏み外してはいけない“ルール”
- ヒップホップの一側面は、継承の歴史である──しかし、それだけではない
「悪党の詩」。後にD.O自身の自伝のタイトルにもなったこの曲は、当然ながら、D.O本人にとっても特別な楽曲だ。
この曲の背景を知るためには、もう一度、D.Oのしてきた“悪さ”について言及しなければならない。
D.Oの逮捕歴は2度ある。2度目は前編で書いた通り、2018年、がんと難病を患っていた両親に使わせるために保持していたブツでの逮捕。
最初の逮捕は、そこから遡ること9年前、2ndアルバム『JUST BALLIN' NOW』のリリースを1週間後に控えた2009年2月のことだった。
事務所にガサが入り、彼のクルーである練マザファッカーのメンバー・PIT GObが逮捕された際、D.O自身もコカインを所持していたため、麻薬取締法違反で逮捕された。
当時、勢いに乗っていたD.O。人気番組『リンカーン』にも出演して「ディスる」「メーン」というヒップホップ用語をお茶の間にも浸透させるほど一斉を風靡していたこともあって、2ndアルバムはメジャーレーベルであるエイベックスからリリースされる予定だった。
しかし、その発売は逮捕によって中止。当時、音楽だけではなくアンダーグラウンドな稼ぎも同時に展開していたため、次々とトラブルが舞い込んだ。
恐喝、襲撃、引き受ける羽目になった“体を張った”仕事……
「悪党の詩」という曲やそれが収録されたアルバム『THE CITY OF DOGG』は、そこから始まった極道や半グレら穏やかでない登場人物らが入り乱れたいざこざに起因する“アンダーグラウンドでの社会科見学”を形にしたD.Oのアートだった。
あの日、あの時、あの場所での出来事が今日に繋がるのは確かだが
犯してきた罪と誤ちの分 rhyme して償います、神様
欲しがりません、その答えはラッパーってのはリアルなんだ
みんな俺に大丈夫か?って聞くがみんなは逆に大丈夫か?D.O『I’m Back』より
練馬から発信されたD.Oの命がけの詩は、遠い大阪の地でアウトローのど真ん中を歩んでいた当時13歳の少年・Red Eyeの魂を震わせた。
「こんなこと言って良いんだ」──周囲との感覚の違いや意思の疎通に悩んできた幼いRed Eyeは、D.Oの曲を通してヒップホップの思想に触れていった。
その後、高校生ラップ選手権への出場で一躍名を馳せ、音楽の道を行くか不良の道を突き進むかという岐路に立つことになる。
中途半端が嫌いなRed Eyeは「やるならとことんやりたい」と、音楽の道を志す。高校生ラップ選手権出場後の17歳でリリースした「少年A」の再生数は300万を超えた。
その後も手を緩めることなく音楽活動で支持を集め、客演にも漢 a.k.a. GAMIやANARCHYら迎えて引けを取らないラッパーとして肩を並べていった。
審査される側だった少年が、その数年後には審査員をゲストに迎えた曲をドロップする。これがヒップホップの醍醐味だ。
前編でも触れた通り、そのD.Oとの初めての邂逅も、FUJI TRILLとKNUXのユニット・OVER KILLによるRed Eyeの「POCKET REMIX」への客演参加だ。
その後も、同じくRed Eye × OVER KILL名義で、「D.O」という名前の由来をそのままタイトルにした『Dangerous Original』の客演に再びD.Oを迎えてREMIXを配信。
「悪党の詩 REMIX」は、実に3度目のコラボということになる。
「初めにコラボさせてもらって、自分の中ではそこで一つ夢が叶ったというのがあったんです。でも、『悪党の詩』は自分が音楽を始めるキッカケになった曲で、どうしてもREMIXがしたくて。段階を経て、自分なりにここしかないというタイミングでD.Oさんにご相談したんです。そしたら『いいぜ、メーン!』って(笑)」(Red Eye)
D.Oが二つ返事で快諾した理由は、これまで見てきた通りだ。
「俺がムショにいる間に、頼まれたら一撃で『いいよ』って言わせる動きをこいて来やがったわけだよ! 全部段取ってくれてて、出てからもムショボケしてる暇ねえなって思わせてくれた」(D.O)
恋い焦がれた曲をREMIXしてリリックを乗せることに、プレッシャーはなかったのか。
「プレッシャーよりも、嬉しい、ワクワクするっていう気持ちでした」(Red Eye)
「仕事仕事って追われるよりも、楽しむマインドが一番最高だしリリックが乗るよね」(漢 a.k.a. GAMI)
「間違いない!」(D.O)
こうして「悪党の詩」は、リリースから10年の時を経て、そのヒップホップ精神を継ぐ青年の手によって完成した。
Red Eyeのバースではその特異な出自とバックボーンが語られ、D.Oはオリジナルのリリックをアレンジしている。
原曲の「このBluntを吸い終わったら/一人で行くところがあるんだ」が、REMIXではD.Oは「このBluntを吸い終わったら/また行けるトコロまで行くだけだ」としているところが憎い。
かち込みをかけるならもう一人ではない。9SARI GROUPの面々はもちろん、背中を預けることができる心強い青年に出会った──まるでそう聴こえる。
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