コロナ以降に、同人音楽と同人即売会で起きたこと 「ハレ」を取り戻す日まで
2020.12.15
2017年3月末、2020年の東京オリンピックに向けた工事のため、渋谷区宮下公園を突如閉鎖した渋谷区。本稿はその記録と、利用者であるスケーターたちの証言だ。
スケーターたちの中に広がる“諦め”の感情とは。
クリエイター
この記事の制作者たち
新年度を目前に控えた2017年3月末のとある朝、渋谷区は2020年の東京オリンピックに向けた複合商業施設建設の工事着工のため、渋谷区宮下公園を突如閉鎖した。
夜な夜なダンスを練習する学生から、忙しい中予定を合わせてフットサルをする会社員まで、様々な人間が集まるこの公園。渋谷カルチャーにとってアイコニックな場所のひとつだったこともあり話題となった。
また、当日の「事前告知」で公共施設を一方的に封鎖したこと、宮下公園で生活していた多くの路上生活者を大量の警察官と警備員を導入して締め出したことで、特に市民団体から非難を浴びているが、これらの問題についてここでは言及しない。
僕がこの宮下公園の閉鎖から考えたかったのは「ストリートカルチャー」と「オリンピック」だ。
公園の閉鎖に伴って渋谷から姿を消したものの中のひとつに、公園内に設置されていたスケートボードパークがある。スケートスポットが少なく、練習場所を探すのにも苦労する都心にあって、渋谷のど真ん中で滑れる宮下公園は貴重な存在だった。
オリンピックのために潰した公園にあったのは、新たにオリンピック種目となったスケートボードのパーク。
なんとも救いようのない話に聞こえてしまうが、今回のことをスケーターはどのように考えているんだろうか。
ストリートをメインにフォーカスした作品を多数発表し、STAY BLACKやHORRIBLES Projectなどの国内ブランドからスポンサードを受ける一方、NYのデッキカンパニーNEW BREED NYCのインターナショナルスケーターとしても活躍するスケーター・藤井佑也さんに話を聞いた。
取材・執筆:和田拓也 取材・編集:新見直
※本稿は、2017年4月に「KAI-YOU.net」で配信した記事を再構成したもの
僕は、閉鎖される2日前に、たまたま宮下公園でスケートをしていた。フットサルコートの照明は消え、今思えば、「なんかいつもと雰囲気違うな」という感覚。
しかしスケートパークだけは平常運行。いつも通り、ハイレベルなスケーターたちの邪魔にならないようにすみっこで練習していた。それだけに、SNS上で閉鎖を知ったときは驚いた。
「いつまでも あると思うな 親とスケートパーク」というツイートなど、今回の宮下閉鎖に対するスケーターたちの反応も多く見られたが、スケーターたちの受け止め方は比較的フラットなものだと藤井さんは話す。
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