Interview

  • 2021.12.12

なぜ「転売は悪」と叩かれるのか? 令和に蔓延する“危うさ”を哲学者が解説

「市場において転売は悪なのか?」という問いは経済の問題だが、「なぜ現代において『転売は悪』とされるのか?」という問いは哲学の問題だ。

なぜ「転売は悪」と叩かれるのか? 令和に蔓延する“危うさ”を哲学者が解説

近年、ネットを中心に転売問題が紛糾している。

そもそも高額転売に対する批判はかねてから根強く、公的な動きでは2019年6月にはいわゆる「チケット不正転売禁止法」が施行されたほか、2020年のコロナ禍ではマスクとアルコール消毒製品に転売規制がかけられた(同規制は同年8月に解除)。

しかし、ここ最近ではブランド衣服や娯楽品の転売批判が目立っている。

PlayStation5にNintendo Switchといった最新ゲーム機やブランドスニーカー、限定プラモデルのほか、KAI-YOUでもたびたび取り上げているトレーディングカードゲーム(TCG)の『ポケモンカードゲーム』は、その代表例だろう(関連記事)。

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Photo by Erik Mclean on Unsplash

2021年には、模型雑誌『ホビージャパン』の編集者が自身のTwitterアカウントで転売容認発言を行い退職処分となったほか(関連記事)、Webメディア「cakes」に掲載されたコミケ同人誌の転売報告記事が炎上。こうした状況に対して、経済学者や法律家、果てはYouTuberまでが転売に対する意見を表明する光景が見られた。

経済学者の中には、転売は需要と供給を均衡させるための経済合理的な行為であり、自由主義経済において一般的な経済活動と肯定する者もいれば、効率性の観点から「転売屋は社会的に無駄な存在」と断ずる者もいる(外部リンク)。

法的な観点からは、先述のチケット不正転売禁止法違反や古物商許可を得ていない転売屋による古物営業法違反、また転売目的での入手に詐欺罪が適用される可能性なども指摘されている。

そもそも「なぜ転売は"悪"とされるのか?」という問題を、経済学だけではなく哲学の問題として考えることができるのではないか。

『カネと暴力の系譜学』(河出書房新書)や『暴力と富と資本主義 なぜ国家はグローバル化が進んでも消滅しないのか』(KADOKAWA)などの著書を持ち、現代社会の問題に向き合っている政治哲学者で津田塾大学教授の萱野稔人氏に話を聞いた。

目次

  1. 転売が許されるモノと許されないモノという線引きがある?
  2. 市場の原理が介入するとヘイトを集めるワケ
  3. ネオリベ(新自由主義)への反発
  4. 転売への嫌悪感の正体
  5. 「フェアじゃない」という感覚
  6. 贈与の均衡が破られた時、何が起こるか?
  7. 今そこに起きている戦争を避けるために

転売が許されるモノと許されないモノという線引きがある?

萱野稔人

萱野稔人

まず、転売が発生する状況と近年転売批判が噴出する背景について、萱野氏は次のように話す。

「例えば人気アーティストのコンサートはみんなが行きたいけれど、会場のキャパシティといった問題などで物理的な供給が限られます。需要に対して供給が少なく、需給バランスの不均衡が生じると転売が起こる。需要に対して安い価格で公式が販売しているので、入手できたら高値で売れるからです。

そもそも転売が強く問題視されるようになった背景には、インターネットサービスによって、転売できる環境が整ったという状況があります。フリマアプリなどの台頭から、マーケット、つまり交換市場が世界的に形成されたことで、"市場の論理"がいろいろな商品やモノに対して適用されるようになったのが現代です」(萱野稔人)

萱野氏は、転売の問題を考えるにあたって「まず『論理としては、転売とオークションは非常に似ている』という前提は共有しておくべき」と語る。

「オークションは、一番高いお金を出す人にモノを売ることで、需要に対して適切な価格がつけられるとされます。嗜好品であるワインや美術品などでは一般的で、むしろオークションは許容されています

また、オークションの論理を内在化した株式や不動産の取引市場も、完全にオープンなシステムとして運用されています。

かたや、コロナ禍のマスクといった生活必需品だけでなく、今ではコンサートのチケットやTCGといった趣味性の高い娯楽品でも『転売は許されない』という風潮がある。ですから、まずは『転売やオークションが許容される/されないモノ』の線引きがどこにあるのかを考えるべきだと思います。

そして、もう一つ考えるべきなのは、転売やオークションが許されない……つまり、市場原理の中で『最もお金が払える人だけがアクセスできる』という仕組みに嫌悪感が持たれている理由です」(萱野稔人)

前述の通り、コロナ禍でマスクとアルコール消毒製品といった、万人に必要とされるモノは政府による規制がかかったことから(一時的にせよ)『転売が許されないモノ』とされた。これは、近年問題視される水資源をめぐる問題ともつながってくるだろう。

本来、みんなに分配されるようにパブリックアクセスが求められるべきモノや資源が、市場の強者(お金持ちや大資本企業)に寡占されてしまうことは生存権などが脅かされることにもつながる。

そのため、こうした必需品が『転売が許容されない(あるいは、されづらい)モノ』として広く認識されるのは理解しやすい。

転売を容認する立場に対して「水が買えなくなってもいいのか」といった批判の声が上がることもあるが、人命に関わるエッセンシャル(必要不可欠)なモノ・資源の場合、独占状態が起これば、国家による介入などが期待される(マスクの転売規制など)。

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Photo by Tai's Captures on Unsplash

しかし、たとえ嗜好品であっても、オークションや転売が許容あるいは奨励され、購買者もその価格を受け入れている商品がある一方、定価を超えて販売すると"高額転売"として非難される商品もある。その線引きはどこにあるのか?

市場の原理が介入するとヘイトを集めるワケ

最新のゲーム機やTCG、あるいはコンサートのチケットといった娯楽品に対して、「転売は許されない」といった批判の声は根強い。

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コンサートのチケットに至っては、娯楽品にもかかわらず「チケット不正転売禁止法」という形で国家権力が介入するまでになった(同法の可決には、業界団体の強い働きかけや東京オリンピックの影響も指摘されている)。

転売問題を考える上で、"買い占め"の問題について避けて通ることはできないが、その点は終盤の章で触れるため、ここではまず「定価よりも高く売る」という"高額転売"についての議論を進めていく。

「経済学的な見地からは、転売が生じている状況はマーケットが歪んでいるので、需要に応じて値段設定を調整し、需給バランスが釣り合うポイントに落ち着かせる……つまり、もっと"市場の論理"を働かせればいい、ということになるでしょう。

もしコンサートで、本当に行きたい人だけが行けるようにするのであれば、もっとチケット料金を高値に設定したり、オークション制を取ればいい。全体をオークション制にするのが難しい場合でも、9割の席を抽選で定価販売して残りの1割にオークション制を導入することもできます。実際、経済学者からこうした案があがることもあります。

また、毎年参加者が殺到する東京マラソンではチャリティランナー枠を設けており、10万円以上を寄付して希望すれば参加できるようになっています。一般枠に外れた人の中には、10万円以上払ってでも走りたいからと、この枠で参加する人もいます」(萱野稔人)

高価なものと安価なものを用意する、こうしたハイブリッド型を導入しているイベントもある。例えばEDMやヒップホップ系のイベントでは、通常の入場枠だけでなく高額なVIP枠が設けられていることも多い。しかしこうした取り組みはあくまでもまだ一部であり、多くの音楽ライブや娯楽嗜好品の市場ではそれほど一般化されていない。

萱野氏は、一般的なアーティスト(事業者)がハイブリッド型を導入しない理由は「中長期的なファンの維持拡大」のためであり、オークション制を導入した際に多くの人が抱き得る"嫌悪感"について考える必要があると話す。

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「『お金さえ出せばなんでも買える』という"市場の論理"が、確かにある部分では人間社会や経済活動を動かしている原理です。しかし、人間には『私の愛がお金で測られるのはフェアじゃない』というように、"市場の論理"に嫌悪感を持ってしまう部分がどうしてもある。

この『フェアじゃない』という感覚は、経済学では見落とされがちな部分ですが、人々が転売に対して強く抵抗を示す理由だと思います。

何かの"ファンでいる"というのは、自分の時間や労力、金といったコストをかける献身的な活動です。こうした献身は本人にとってはプライスレスであり、対象への一種の"贈与”として感じられるものです。自分のリソースを無償で贈与しているつもりなのに、"市場の論理"で値段をつけられることに対して拒否感が強い。

また一方で、アーティストやメーカーから自分の思いに対して安価な定価でモノやサービスを提供されることも、本人にとっては供給側からの"贈与"だと感じられるでしょう。一種の"贈与"と感じたモノに対して、特にファンは"市場の論理"で価格を付けたりその値付けで優劣を比べられたくないと感じるのです」(萱野稔人)

言い換えれば、アートやワイン、株といった分野では、需要側と供給側の双方が"市場の論理"で取引をすることを受け入れている。そこに"贈与"という感覚は薄い。投資的な意味合いも強く、高額で購入することで対象の価値は上がり、結果的に双方の利益になるとも言える。

一方で、アーティストやメーカー(供給側)とファンとの取引には一種の"贈与"があると捉えられていて、多くの人々がそこには金銭では測れない(「愛」などと表現される)何かがあると感じている。ここに"市場の論理"で介入して高額転売を行うと、人々は強い嫌悪感を示すことになる。

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