フィクションはどのような希望を描けるか? 珠玉の韓国文学3選

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  • 2019.05.23 19:00:00
フィクションはどのような希望を描けるか? 珠玉の韓国文学3選

小説は現実とどのように距離をとるか

現実社会の厳しさに対して、フィクションやエッセイには何ができるのか。前回取り上げた、『原州通信』や『ショウコの微笑』といった現代韓国文学の短編作品はそれぞれの表現でこの問いに答えている。

今回取り上げる長編3作品は、現代韓国を舞台にした物語から、幅広い時代に跨って展開される一大叙事詩まで、舞台設定のスケールは様々。

いずれも200ページを超える大作ばかりだが、荒唐無稽な世界観や突飛なストーリー展開、独特のグルーヴを持った語り口によって、驚くほどするすると読めてしまう。

この3作に共通する特徴は、「物語に何ができるのか」が中心的なテーマとなっていることだ。あらすじを適宜紹介しながら(決定的なネタバレは回避しつつ)、長編作品の魅力に迫りたい。

パク・ミンギュ『ピンポン』(斎藤真理子訳,白水社,2017)

ラケットを持つこととは、自分の意見を持つこと

短編集『カステラ』で記念すべき第一回日本翻訳大賞を受賞し、ハン・ガン『菜食主義者』と並んで、日本における韓国現代文学の盛り上がりの端緒となった注目の作家パク・ミンギュ。

2006年に出版された3作目の長編小説『ピンポン』は、タイトルの通り「卓球」を題材にしつつも、いわゆるスポーツ小説とはかけ離れた設定・展開が特徴だ。

世界に「あちゃー」された男子中学生「釘」と「モアイ」は卓球に熱中し、「卓球界」で人類存亡を賭けた試合に臨む。 『ピンポン』公式ページより抜粋

日々苛烈ないじめを受けている内気な男子2人が、何もない原っぱで見つけた卓球台。本作における卓球は、「スポーツ」というよりも、孤独な2人が出会った手探りのコミュニケーション方法だ。

自分のラケットを持つということはね、いってみれば初めて自分の意見を持つってことなんだよ。パク・ミンギュ『ピンポン』(白水社)より

「釘」は卓球に出会い、ラリーというコミュニケーション手段を手にしたことで、少しずつ自分の言葉を持てるようになる。相変わらず2人でいじめられながらも、自らが置かれた状況を咀嚼し、その原因をたどっていく。

いじめにあうってことはさ……はじかれてるんじゃない、取り除かれてるってことなんだ。みんなから? ううん、人類にだよ。同上

人々は、「人類」という集合体から取り除かれないように、日々必死に気に入られようと生きている。いじめられっこの「釘」や「モアイ」は、そんな人類から「あちゃー」されてしまった、つまり取り除かれてしまった側の人間だ。

残酷で理不尽な現実に対して、「なぜ自分が?」という問いはあまりにも無力で虚しい。しかし二人は、軽快にラリーを続けながら内省を深め合う。「ピン、ポン」という打球音は、陰鬱なやりとりを少しだけ軽くする。

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