LGBTQ差別はなぜレゲエに深く根差してきたのか? ヘイト騒動に巻き込まれたMINMIインタビューも
2022.11.05
KAI-YOU Premium、約2年ぶりのリアル開催イベント。『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』を刊行した文筆家のつやちゃんに、ラッパー・valkneeさんと批評家・伏見瞬さんを迎えた公開鼎談の様子をお届けする。
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ヒップホップやラップミュージックがメインストリームを席巻するUSでは、ヒップホップ=ポップミュージックと同義に扱われているが、ここ日本においては大衆にとってまだ決してポピュラーな存在でないとされている。
しかし、ヒップホップがポピュラーでないことが果たしてそのまま「アンチ・ポップ」と位置付けられるべきなのだろうか。そもそも何をもってヒップホップ、ポップとしてアーティストや作品が定義づけられているのだろうか。
約2年ぶりに開催されたトークイベント「遊ぶ人集会 vol.4」にて、このテーマを紐解いたのは、文筆家のつやちゃん、ラッパーのvalknee、批評家/ライターの伏見瞬の3人である。
目次
- 遊ぶ人集会 vol.4「ヒップホップは“アンチ・ポップ”なのか?」レポート
- 『時代との流動的な関係性』を持つポップとヒップホップ
- 90年代:リアルタイムとリバイバル
- 00年代:歌とラップの二刀流
- 10年代:文化系ラップと高濃度ヒップホップから扉を開く
- 『ブーンバップ爺』とトラップ革命
- ヒップホップがリアルとするもの、リアルでヒップホップになるもの
- ルールを変えるのではなくアップデートを
- フィメールに問われる声質とビッチ問題
KAI-YOU Premiumでの連載を下敷きに、90年代の日本語ラップ黎明期から現在に至るまでのヒップホップシーンの変遷を文化的な視点で捉えながら、これまで語られてこなかったフィメールラッパーの功績に光を当てた書籍『わたしはラップをやることに決めた フィメールラッパー批評原論』を2022年に刊行したつやちゃん。
「ヒップホップは“アンチ・ポップ”なのか?」という今回のテーマについても、点と点を繋ぎストーリーを連ねた自身の著書のように、明文化されてないヒップホップの秩序やルールのポイントを抑えながら鼎談に臨んだ。
『わたしはラップをやることに決めた』のインタビューにも登場し、アイドルやK-POPなどのカルチャーに広く触れ、従来のヒップホップにとらわれず独自のセンスで活躍を魅せるラッパー・valkneeはアーティストとしてシーンの最前線をゆく当事者でもある。
ヒップホップ側からの登壇者2人に加え、ポップミュージック側からの登壇者として司会を務めるは2021年に『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』などの著書を持ち、ポップミュージックの様式に造詣が深い伏見瞬。
「ポップのイメージは時代によって変わっていく」
白熱するトークの中でつやちゃんはそう話し、リスナーとアーティストの間に関係する流動性をポップとして定義づけた。たしかに、日本にヒップホップカルチャーが生まれ進化と発展を繰り広げてきた約30年間、ポップとされる大衆音楽も同じく変化を遂げてきた。
そういった時代の変遷が起きる中で、両者はどのように異なる領域を互いに行き来し合い、時にリンクしてきたのか。各時代ごとにキーとなるアーティストや作品を例に、ヒップホップとポップの定義を探り、三者三様のリアルと考察を語り合ったイベントの様子を振り返る。
本イベントと同時期に開催を控えていた大型フェス『POP YOURS』への意見を皮切りに、今のヒップホップを取り巻く現状を各々が浮き彫りにしながら話を進めてゆく。
『POP YOURS』はその名の通りポップと掲げられているものの、AwichやCYBER RUIらわずか数名しかフィメールラッパーは出演しておらず、ブッキングにおいてのジェンダーバランスの問題以前に、「女性アーティストが大きなステージに立てるまでの(キャリアを重ねる)道筋がいまだ立っていないのではないか?」とつやちゃんは指摘した。
それでもAwichがステージに立つことができた理由には、男性社会だからこそ「母性」という性質が受け入れられた部分があるのではないかと伏見がツッコミを入れる。
つやちゃんの単著『わたしはラップをやることに決めた』でも触れられているように、AwichやMARIAといったヒップホップの男性社会を生き抜いてきた女性アーティストは、やはり“紅一点のフィメールラッパー ”としてフックされやすい/としてしかフックされないのが現状だ。プレイヤーであるvalkneeも、「リスナー側にも母性的なアーティストは受け取られやすいのではないか」と同意。
ヒップホップを取り巻く男性社会、ラッパーたちの背景やカルチャーを共有しながらも、女性アーティストがフラットに受け入れられることはやはりまだ難しい。いかなるアプローチやプロセスを重ねればヒップホップとして受け入れてもらえるのか、という大きな課題もここから見えてきた。
「女性に限らず、ストリート的な出自、ヒップホップ的なファッション、ブラックミュージックへの深い理解といった要素がないと結局ヒップホップとしては受け入れてもらえない。いわゆるヒップホップらしくないアーティストでも、『ラップスタア誕生』へのチャレンジやオーディションへの応募、Red Bullのコンテンツに出演したりすれば、そうしたバックグラウンドがなくても風向きが変わることがある。ただ、結局そういった儀式を通過したり、ヒップホップとしての認められた印を得たりしないと、ヒップホップフェスには出れないのかな」(valknee)
今では、オーディションやメディアなど、ヒップホップの登竜門は目に見える形であちこちにある。そこをくぐり抜けなくとも、Awichで言えばYENTOWN、MARIAで言えばSIMI LABといったクルーに所属し、仲間たちと鼓舞し合う環境があることでコミュニティに所属できているのかもしれない。
しかし、女性でラッパーを目指すケースは決して多くなく、登竜門どころか、クルーやコレクティブといったコミュニティも限られてきた。女性としてヒップホップのど真ん中で活動を続けること自体が、困難でもある。
ラップをしながらもヒップホップになれない/させてもらえないアーティストはどうするのか。音楽活動について模索して辿り着く路線の一つこそが“ポップミュージック”なのかもしれない。
大衆に迎合され売れることで、アーティスト活動がしやすくなる。音楽を続けるためにポップ路線への手招きをされたり、時にはそうならざるをえない場合があったりと、ヒップホップとポップはアンダーグラウンドとメインストリームという対でありながらも実は密接した関係を持っている。
そこで問われるのが、ヒップホップとポップの定義なのだ。
メディアで見せるアーティストのイメージ、大衆にウケるマス的な性質、明るさのあるメロディー(たとえば2000年前後には“ポップパンク”は蔑むような意味合いで使われることも多かった)。伏見とvalkneeが挙げたポップを構成する要素を「時代との流動的な関係性」とつやちゃんはまとめ、90年代/00年代/10年代に分けながら代表的な作品やアーティストを一例に話が進む。
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