LAM インタビュー「僕は天才ではない、だけど──」
2020.11.21
「ルックスより中身」という生き方は、どうやったら実践できる?
前回、顔や体型といった、ルックスにまつわるコンプレックスに悩んだ過去を打ち明けてくれたてんちむさんとゆづきさん。
自己肯定感の低さから他人の評価を気にしすぎたり「可愛い」を追い求めすぎたりと疲弊したこともあったという。
だが一方で、周りの追いかける「可愛い」は一時的な流行や遊びであることが多い、と二人は語る。だとすれば、そんな流行や遊びでしかない「可愛い」の追及にどうしてとらわれてしまうのだろう。
連載第二回目は、てんちむさんとゆづきさんが考えるSNSでの自己表現や承認欲求、その限界との向き合い方について語ってもらった。
──SNSでの「映え」や、加工アプリなどでの「可愛い」は遊びのようなもの、とおっしゃいましたが、お二人にとって「SNSでの自分の姿」ってどういうものですか?
ゆづき 私の場合、SNSは自分に興味を持ってもらうためのツールでしかないですね。私のSNSを見てご指名されるお客さまも多いので…
自分の切り取り方にすごく気を遣わなければいけないので、SNSは正直苦手なんですけど、自分のいいところだけ、いい言葉だけを切り貼りしています。
てんちむさん
てんちむ 私もやっぱりこういう仕事してるんで、Instagramに写真を上げるときは、できるだけキレイな自分を見せるために「盛れてる」というか「映える」写真を選んでますね。少なくとも、Instagramにオフの姿を上げることはしないです。ストーリーはともかく、タイムラインはキレイにしていますね。
YouTubeとInstagramとTwitterとで属性が違うので、プラットフォームごとに自分をどう見せるかを変えて、自分の見え方をコントロールしています。
ゆづき SNSって「自分を知ってもらいたい」と思って使うよりは「自分のいいところを演出したい」と思って使うところが大きいから、わざわざ「ありのまま」を見せようとは思わないんですよね。SNSに上げるなら「キレイな自分」「求められる自分」でいなきゃって思っています。
記事の最後には、てんちむさんゆづきさんのチェキプレゼント情報も掲載しています。
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赤の他人は、どこまでいっても他人