Interview

  • 2023.07.28

中村聡×岩田太(晴れる屋)対談 カードゲームが“この世で最も面白い遊び”に足り得る理由

「トレーディングカードゲームは、本当の意味で文化になった。その時、もう大丈夫だと確信したんです」

世界初のトレーディングカードゲーム(TCG)『マジック:ザ・ギャザリング』が1993年に発売され、2023年はTCG誕生から30周年というメモリアルな1年である。

中村聡×岩田太(晴れる屋)対談 カードゲームが“この世で最も面白い遊び”に足り得る理由

いまだに世界を席巻する『マジック:ザ・ギャザリング』に追従する形で、この30年間、国内でも多くのTCGタイトルが開発された。

それが現在、過熱的な人気によって連日のように報道される『ポケモンカードゲーム』であり、週刊少年ジャンプの名作から生まれた『遊戯王オフィシャルカードゲーム』であり、国内人気IPとのコラボを前提にする『ヴァイスシュバルツ』であり、今回の対談に出演していただいた中村聡さんも漫画に登場した『デュエル・マスターズ』であったりする。

幾千ものTCGタイトルが生まれ、遊ばれた。あるいは歴史の中でその名を見るだけになったタイトルも、たしかに存在していた。

今、国産TCGの人気は逆輸入的に世界へと拡がっている。子どもも青年もおじさんもギャルも巻き込み、TCGショップは連日満員。卓上では一期一会の熱戦がいつも繰り広げられている。

なぜTCGという遊びと産業は、ここまで大きく、ポップなものになったのか

TCG黎明期からプロプレイヤーとして活躍し、現在はTCGのゲームデザイン事業を行う有限会社遊宝洞代表の中村聡さんと、『マジック』国内最大の専門店を展開する株式会社晴れる屋代表の岩田太さんの対談が実現。

令和最大のポップカルチャーになりつつあるカードゲームの世界──TCGに人生を賭けた男たちの対話から、その歴史と熱狂の秘密へ、深く潜っていく。

目次

  1. 人生をTCGにフルベットして生きてきた男たち、その運命的な“遊び”との出会い
  2. 黎明期の競技プレイ──“ただのゲーム好き”が銀行員時代から学んだ大切なこと
  3. コロナ禍を経由して強くなった“遊び”への熱狂
  4. 「儲かったから今がある」TCGが本当に“文化”になった瞬間
  5. TCGの栄枯盛衰と、関係者たちが築き上げてきた“信頼”
  6. 変化、多様化するTCGプレイヤーたちと、それでも維持しなくてはいけないもの
  7. 『ポケカ』を巡る報道の在り方と、その影響がもたらした恩恵と弊害
  8. このTCG絶頂期は、どこまで続くのか──永遠なのか、一過性なのか
  9. 「デッキを一つ持って、世界へ遊びに行こう!」

人生をTCGにフルベットして生きてきた男たち、その運命的な“遊び”との出会い

──TCG業界を長く牽引されているお二人ですが、まずはどのようにしてTCGに出会ったのでしょうか。

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左:岩田太さん 右:中村聡さん

岩田太(株式会社晴れる屋代表) もともとボードゲームやTRPGが好きで知りました。『マジック:ザ・ギャザリング』のプレイ自体は一人回しがメインでした(笑)。たまに土日の大会に出るっていうぐらいの、とてもカジュアルな付き合い方で。

2010年頃に大学院を辞めて、「特にやりたいこともないから、好きなゲームを仕事にするか」という安易な考えで(笑)、晴れる屋でアルバイトとして働きはじめました

中村聡(有限会社遊宝洞代表) 『マジック』でいうと、日本では「リバイズド」(1994年にアメリカで発売)の時に輸入されて。ボードゲーム業界やTRPG業界からすると、革命が起こるぐらい流行ったんです。

僕はその頃は東京に転勤していて、たまに関西へ帰る時に「中村、マジックやってなかったら帰ってきても遊んでやんないよ」って言われて(笑)。

それで急いで買いに行ったら、お店で声をかけてくれたのが、一緒に遊宝洞を立ち上げたヒロキ(​広木克哉​)で。「これから遊ぶんだけど一緒にどうですか?」って誘われて、遊びに連れて行かれたら、お寺のお堂で(笑)。そこでみんなではじめたのがスタートです。

岩田 最初はデュエルスペースなんて、何もなかった状態ですもんね。

中村 ホントに! こんなTCGで遊べるお店がたくさんできるような世界が来るなんて、全く想像してませんでしたよ。

岩田 私がはじめた直後だと、新宿にイエローサブマリン マジッカーズ★ハイパーアリーナがありました。おそらく、そこが当時一番大きな場所で。水道橋にフューチャー・ビーもあった。それなりのスペースが生まれはじめている状況でした。

中村 自分がはじめた頃は全くなかった……というか世間的に“トレーディングカードゲーム”という概念すら存在していなくて。だからまずカード自体が売ってないし、巷の流行を聞きつけて輸入してくれるショップがあれば、みんながワーッと飛びかかる(笑)。

僕は当時銀行員だったんですが、業務中にも友だちから電話で入荷連絡がきて…! 「いつもお世話になっております」「そのようなことがございましたか。私も協力させていただきます、こちらの方もよろしくお願いします」つって、会話からバレないように友だちに「押さえといて!!!」って伝えて買ってもらっていた……みたいな時代があって。

──銀行員はたくさん電話が来るから、怪しまれないんですね(笑)。

岩田 すごく同人的なマーケットでしたよね。個人的に並行輸入してる人が直売するみたいな。

中村 そうなんです。遊ぶ場所も、公民館を借りたり、友だちの家でやったりが当たり前で。

たまにマクドナルドとかで二人で少しだけ遊んでると、バーッと店舗中に広がっちゃって、気がつくとみんなプレイしてて。「さすがにこれはあかん」って解散して……そんなこともありましたね(笑)。真似しないでください!

──「TCGという概念が存在しなかった時代」から遊ばれたというお話ですが、その時点で『マジック』を知ることの情報感度の高さにまず驚いてしまいます。

中村 僕の場合はボードゲームとかTRPGをして遊ぶ、ゲームサークルのようなコミュニティに大学時代から入ってたのが大きいですね。

岩田 僕は、田中としひさ先生(※1)から知りました。中村さんと同じくTRPGとボードゲームをやってたから、文化的に近しい場所にいたんだと思います。「何だろうこれは?」ってとこから始めましたね。

中村 金澤先生(※2)や田中先生、懐かしいな(笑)。

※1 田中としひさ:主に非電源系ゲーム雑誌でコラム漫画や挿絵で知られるイラストレーター/漫画家。ボードゲーム、TRPG、『マジック:ザ・ギャザリング』など非電源系ゲームのプレイヤーとして知られる。
※2 金澤尚子:イラストレーター/コラム漫画家。通称「ぴよぷー」。『月刊ゲームぎゃざ』で初心者向けコラムを多く手がけていたが、日本人女性初のプロツアー・プレイヤーという偉業を持つ。

──TRPGやボードゲームがTCGと密接だったというイメージは、今の感覚とは違う印象を持ちます。今は、TCGはやってるけどボードゲームはやらない、という人も多いですよね。逆もまた然りです。

岩田 当時だと、TRPGの流れからプレイしていた人は多かったですね。TRPGって結構待ち時間も発生するじゃないですか。その最中に二人がTCGを遊びはじめて、「何それ?」みたいな感じで広がっていった感覚でした。

中村 僕は今、なんと54歳なんですけど……! 大学の頃──もう35年とか前の話になるんですけど、サークルでシミュレーションウォーゲームをやってる先輩たちが、「最近の奴らはマルチプレイボードゲームばっかりやってて、シミュレーションをやらなくなって、けしからん!」とか言ってて。

その次の世代は「最近の奴らはTRPGばっかりやって、ボードゲームをやらんからけしからん!」って言ってて、さらに下の世代は「最近はTCGばっかり遊んで、TRPGをやらんからけしからん」……って連鎖が続いていった(笑)。20数年前ぐらいから、TRPGからTCGへと移行していった印象です。

──以前、藤田剛史さん(※3)に取材させてもらったことがありまして、その時は「ボードゲーム勢に加えて、ゲームセンターで格ゲーをやってるような荒くれ者もすごい参入してきたんだよ」と仰っていたのが印象深かったのですが。

岩田 僕の印象では、そんなに感じませんでしたね(笑)。ただ、1対1で相手を倒すっていう点では、近しいゲーム性があるかもしれない。

中村 所属していたコミュニティの違いかもしれない。ただ、どちらも“勝ち負け”がハッキリするゲームだから相性は良いかも。今でも対戦格闘ゲームとTCGの両方をやっていて強い人がいますからね。

「ギリギリのところまで突き詰める」という点は同じなんですが、僕は運動神経がなかったから格闘ゲームは全然できなかった。

※3 藤田剛史:90年代から活躍する『マジック:ザ・ギャザリング』プレイヤー。日本人初のプロツアー殿堂入りを果たす等、日本における『マジック』の競技プレイを長年に渡って牽引した。

──当時の感覚として、『マジック』からはじまったTCGというゲームは、何が画期的だったのでしょうか?

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『マジック:ザ・ギャザリング』

岩田 TPRGとかボードゲームとか、面白い非電源ゲームのタイトルはすでにたくさんあったんですけど、同時に「しゃべるのが得意じゃないけど卓上ゲームが好きな人」も結構いたんです。

TCGも、ある種の世界観をロールプレイするような要素がある。でも言葉で細かに情景を説明しなくても、カードそのもので表現したり、行動したりして、なりきることができる。そこが非常に新しくて、TRPGプレイヤーからすると画期的に感じました。

中村 ゲームデザイナーの観点から話すと、とにかく「短い」のが良かったです。TRPGとかボードゲームとか、ガチでやると終わるまで一晩とか平気でかかるわけです。そこでゲームとゲームの隙間に気軽に二人だけで遊べるのは、本当に画期的でした。

それに加えて──後で同じこと言うかもしれないけど(笑)──僕はTCGの最も面白いところって、無限に違う体験ができることだと思っていて。

どんなに素晴らしいボードゲームも、同じメンバーで同じ作品を遊んでいれば、似た展開が繰り返される可能性がある。TRPGは、人と人との繋がりで芸術的な場が生み出される素晴らしい瞬間があるけど、楽しさが個人の人間性に大きく依存してしまう。

その点で、TCGは全く初対面の誰かとやっても、全く異なる世界と新鮮な体験が得られる。とても魅力的でしたね。

黎明期の競技プレイ──“ただのゲーム好き”が銀行員時代から学んだ大切なこと

──それこそ中村さんは、銀行勤めから脱サラして、国内トップクラスの『マジック』プロプレイヤーとしても活躍された時期もありました。どうしてそこまでのめり込んでいったのでしょう?

中村聡_APAC/東京ビッグサイト(ドラフト/スタンダード)

競技プレイヤー時代の中村聡さん(1998年/『マジック:ザ・ギャザリング』公式サイトより)

中村 それでいうと、競技プロになろうとして仕事を辞めたわけではないんですよ。

就職活動をしていたのが、バブルが弾けた直後で。就職氷河期が訪れる直前の時期だったんです。そういう曖昧な時代に社会人になったからこそ、金融業で何かを成し遂げたい! 世界や日本のために心血注ぐんだ!という気持ちが全くなくて……。

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