
仮設の映画館『タレンタイム~優しい歌』
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2019年の韓国映画『パラサイト 半地下の家族』の快挙はいわずもがな、西洋のステレオタイプを乗り越えたアジアのミクロな物語が、国境を超えてひととひとを繋ぎ、メインストリームで評価されている。
一方で、ストリーミング配信により映像作品は“飽食”の時代を迎えているように見えるが、アジアの作品たちを私たちが目にすることはまだ少ない。私たちが親しむ名作はごく限られた世界のものにすぎない。本連載では、有象無象の作品が世に出される飽食の時代にあっても輝きを放つ、アジアの珠玉の名作を新旧問わずレビューする。
発見という映画体験は、観客に大きな興奮を与える。『タレンタイム 優しい歌』の鑑賞を通じ、筆者の胸をいっぱいにしたのはまさにそういった興奮だった。スクリーンに拡がる、世界の新たな側面を目撃することの歓び。そんな感覚を与えてくれた本作は、この連載を始めるにあたりぴったりの作品だと思い、迷うことなく選定した。
執筆:菅原史稀 編集:和田拓也
マレーシアで2009年に製作・公開された『タレンタイム』は、マレーシアアカデミー賞で4部門を獲得したほか、ベルリン国際映画賞、東京国際映画祭最優秀アジア映画賞に輝くなど大きな国際評価を受けた作品。
監督のヤスミン・アフマドは、マレーシアに暮らす人々の日常を通してみえる普遍的な愛を美しく描いたことで、マレーシアのみならずアジア屈指の女性監督と知られたが、本作公開から4か月後の2009年7月に51歳で亡くなった。彼女の映画監督として活動した期間はわずか6年と短いが、遺した長編の6作品に存在する「ヤスミン・ワールド」と呼ばれる作品世界は今でも世界中の映画ファンに親しまれている。
本作の日本劇場公開は2017年に行われて以降ソフト化がないままだったが、現在ではオンライン上で新作映画などを公開する「仮設の映画館」にて鑑賞が可能となった。
タイトルにある“タレンタイム”というあまり聞き慣れない言葉は、学生を対象とした芸能コンテストを意味するマレーシア英語。学校の一大行事“タレンタイム”を起点に、登場人物の学生たちやその家族によって繰り広げられる群像劇のあらすじは以下のとおりだ。
マレーシアのとある高校で、芸能コンテストが開催される。参加者の一人、ピアノ演奏を得意とする女生徒ムルーは耳の聞こえない青年マヘシュと恋に落ちる。優等生カーホウは、成績優秀で歌もギターも上手な転入生ハフィズに学年トップの座を奪われ、心を乱されている。ムルーとの交際に強く反対するマヘシュの母、カーホウに厳しくあたる父、病床で死を待つハフィズの母......様々な思いが交錯するなか、いよいよコンテストの幕が上がる。
バンド演奏などの発表を目指す学生の姿を追ういわゆる“学園祭もの”は、日本映画でも『リンダ・リンダ・リンダ』や『ウォーターボーイズ』など人気作が豊富な定番ジャンルと言える。
しかし、この『タレンタイム』がこれまでに観てきた学園ものと一線を画すことに気づいたのは、序盤に描かれるオーディションシーンを観てからだった。
審査員の前に現れる出場希望者は、英語で行われるシェイクスピア劇、マレー語での弾き語り、広東語での歌唱、ヒップホップダンス、二胡の演奏、中国古典舞踊の扇子舞と、多岐にわたるジャンルの芸を次々に披露する。その文化背景の多様さは日本に住む私たちの目に新鮮に映るものだが、これには『タレンタイム』が生まれたマレーシアという国の在り方が反映されているのだ。
作中に映し出されるマレーシアの社会状況について読み解く前に強調しておきたいのは、この『タレンタイム』はマレーシア事情について知らずとも十分に物語を理解し楽しめる作品だということである。
本作が“学園祭もの”というオーソドックスな物語様式をとっているというのは先述のとおりだ。マヘシュとムルーのロマンス、カーホウとハフィズの間にある歪な関係性、病床の母親を持つハフィズの思いなどがタレンタイム本番の日に向け加速していくそのストーリーラインは、観る者をひきこむ大きな力を持っている。
その上で、それぞれの登場人物が織り成す物語一つひとつが存在感をもって描かれており、例えばマヘシュとムルーによる視線や指先を通じた愛の言葉は非常に詩的で繊細に映し出されているとともに、その二人を見つめるハフィズやマヘシュ一家の視点も複雑に絡み合うといった巧みな造りとなっている。
無名の俳優が起用される一方、脳腫瘍で闘病するハフィズの母エンブンは、マレーシアの大女優・アゼアン・イルダワティが演じる。アゼアン自身も乳がんを患っており、病状が進行し立って演技ができないため、寝たきりの役に脚本が書き換えられていった。本作は、彼女にとっても最後の出演作品となっている/画像は『タレンタイム~優しい歌』予告編より
また、作中の絶妙なユーモアセンスも必見ポイントの一つである。なかでもタレンタイムを主催するアディバ先生と、彼女に熱をあげるお調子者のアヌアル先生のナイスキャラっぷりには何度か声を上げて笑ってしまったほどだ。
監督のヤスミン・アフマドが最大の影響として喜劇王チャーリー・チャップリンを挙げていたが、美しく巧みな語り口にコメディ要素が散りばめられている本作は、確かにチャップリン作品を彷彿とさせるまで映画としての普遍的な魅力を感じさせる。
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ヤスミンが映し出す混成社会の姿
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