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  • 2020.08.28

「障害者とエッチするのって、普通のひとと何が違いますか?」 映画『37セカンズ』が健常者と障害者を越えて問うもの

「障害者とエッチするのって、普通のひとと何が違いますか?」 映画『37セカンズ』が健常者と障害者を越えて問うもの

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映画体験とは「スクリーンに拡がる、世界の新たな側面を目撃すること」である──第1回『タレンタイム』稿の書き出しにそう綴って以来、“オリエンタリズムを超えるアジア映画”と題した本連載では、国境や文化・生活様式の違い、また時代を超えて人と人を繋ぐアジアの様々な国で生まれた物語を紹介してきた。そして今回、焦点を当てる作品として選出したのは、今年劇場公開され現在Netflixにて配信中の日本映画『37セカンズ』だ。

映画『37セカンズ』予告編

本作で長編デビューを飾ったHIKARI監督が「“障害者と性”について考えたことが(製作の)きっかけとなった」と語っているように、出生時より脳性麻痺を抱えている主人公ユマが、性を含む“自らの求めるもの”を追いかける姿を映し出す本作は、2019年に開催された第69回ベルリン国際映画祭において同映画祭史上初の二冠(パノラマ観客賞、国際アートシネマ連盟賞)を達成、またトロント国際映画祭やトライベッカ映画祭にも招致されたことでも注目を浴びた。なお、ユマを演じる佳山明(かやまめい)自身も脳性麻痺を抱え、演技未経験ながらも主役を勝ちとった経緯をもつ。

主人公ユマが紡ぐこの物語を通じて伝えられたのは、身体障害を抱えながら自己実現の道を歩もうとする彼女の姿と、その前に立ちはだかった日本社会にある障壁の存在だ。そしてその障壁がどのようにして生まれユマの行く道を阻むのか、また彼女がどのように乗り越えようとしていくかをとらえたこの『37セカンズ』は、世界の観客に「生きるとは何か?」という問いをなげかける普遍性を持つ。

また同時に、ここ日本に暮らす私たち観客こそ目を向けなければならない世界を目撃させる、まさに日本で観られるべき日本映画であると感じたのだ。

執筆:菅原史稀 編集:和田拓也

『37セカンズ』を劇場で観る 『37セカンズ』をNetflixで観る

目次

  1. 車椅子で繰り出した歌舞伎町で得た、社会的機会とアイデンティティー
  2. 「障害者とエッチするのって、普通のひとと何が違いますか?」
  3. 「保護すべき者」と「じりつできない者」、“私らしさ"の行方
  4. 社会の目線が生む、クリエイティビティの搾取構造
  5. 本作の展開が“ファンタジー”と映ってはならない
  6. 『37セカンズ』の“希望”があぶりだすもの

車椅子で繰り出した歌舞伎町で得た、社会的機会とアイデンティティー

37秒間呼吸が止まった状態で誕生したことで脳性麻痺による身体障害を抱えた貴田ユマ(佳山明)は、母親・恭子と共にひっそりと暮らす20代半ばの女性だ。漫画家のゴーストライターとして働きながら「自分の好きな漫画を、名前を明かしながら描きたい」と願うユマだが、彼女の名前を借りて一躍人気漫画家となった高校時代からの親友サヤカはそれを許さない。

そんななか秘かに描きためていた作品を成人誌の編集部に持ち込んだある日、編集長・藤本から「性経験のない作家のエロ漫画はリアリティが足りない」と突き返される。

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画像はNetflix『37セカンズ』より

これをきっかけに、これまでの閉ざされた生活から抜け出し、性体験を試みようと決意したユマは、繰り出した新宿の街で舞と車椅子に乗ったクマさん、介護師の俊哉と出会い交流していく。

冒頭に紹介した監督のコメントのとおり“障害者と性”は、本作における重要なテーマとなっている。しかしそれと同時に目を向けたいのは、未知の体験を求めるユマが舞、クマさん、俊哉によって導かれるのは性の世界だけではないということだ。

劇中には、ユマの車椅子を押しながらウインドーショッピングに繰り出した舞が様々な洋服を試着させユマに合ったスタイルを彼女とともに試し、また飲み屋で初めてのお酒を飲み過ぎてしまったユマを「お酒は失敗して覚えるもんよ」と介抱する様子が映し出されている。物語の展開も、「障害者の性」という視点から「家族」へとシフトしていく。

ユマが渇望し舞たちの存在を介して得る新たな体験は、障害を持たない多くの人々が成長過程の中で獲得していく社会経験、またその中で“私らしさ”を見いだしていく、ごく当たり前の光景である。しかし、ユマのこれらの経験は、車椅子のまま一人きりで夜の歌舞伎町に繰り出した彼女の並々ならぬ勇気、エレベーターの故障が巡り合わせた舞たちとの言わば“奇跡的な”出会いなしには得られなかったものだ。

37.jpg

画像はNetflix『37セカンズ』より

本作で明らかになるのは、障害のない者にとっては当たり前に開かれた道のりが、彼女には閉ざされていたものであり、両者の間に横たわる、社会経験を獲得するまでの道のりは大いに異なるということだ。

「障害者とエッチするのって、普通のひとと何が違いますか?」

このような不平等性は作中、ユマが舞に対して投げかける印象的な問いに表れている。

「障害者とエッチするのって、普通の人と何が違いますか?」
「いつか私も、好きな人と結ばれたいなって思うんですけど、そんなのホントに叶うのかなって」

自身のことを「私みたいな人」と表すユマがこの問いを投げかけた理由──そこには母親・恭子の存在と、そこから立ち上がってくる、障害者とその家族に差し向けられた社会の目線があるように思う。

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