LGBTQ差別はなぜレゲエに深く根差してきたのか? ヘイト騒動に巻き込まれたMINMIインタビューも
2022.11.05
90年代から2010年代のアイドルシーンまでを、「ライブ」「作曲」「プロデュース」という角度から迫っていく。彼女たちは、どのようにして激しいライブシーンをつくり上げてきたのか。
※本稿は、2016年に、当時運営されていた動画メディア「lute」と連動で「KAI-YOU.net」に掲載された記事を再構成したもの
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この記事の制作者たち
「ライブアイドル」あるいは「地下アイドル」と呼ばれるアイドルは、そもそもどんな存在なのだろうか?
それは、大きな事務所とメジャーレコード会社に所属し、テレビの歌番組に出演しているような旧来のアイドル像とは大きく異なる、ライブ活動をメインとしているアイドルたちのことだ。
AKB48、ももいろクローバーZ、でんぱ組.incがブレイクした後の、現在のアイドルブームについてはすでに多くが語られている。
しかし、それ以前にも脈々とライブアイドルのシーンが存在したことは忘れてはならない。そこに私たちの喜怒哀楽はあった。
目次
- アイドル像に縛られない現在のライブアイドルたち
- 今につながるライブアイドルの原点はどこにある?
- 90年代を盛り上げたもう1組のライブアイドル
- オタクたちにも変化がある?
- Julie Wataiが当時の現場を語る
- 世界初? 地下アイドル専門事務所の誕生
- アイドルから見たピカピカの現場
- ライブアイドルを盛り上げるファンコミュニティ
この動画には、おやすみホログラム、むすびズム、生ハムと焼うどん、せのしすたぁ、校庭カメラガール(現:校庭カメラガールツヴァイ)、Stereo Tokyo、PassCode、BELLRING少女ハートといったアイドルが登場している。
2016年3月当時には現役女子高生ユニットだった生ハムと焼うどんが、いまだ全国流通盤CDをリリースしていないながら赤坂BLITZでワンマンライブを成功させたことは記憶に新しい。BELLRING少女ハートは、ライブハウスの匂いを強く感じさせながら、動員を保ち続けているグループだ。
2016年はライブアイドルシーンから、BiSH、バンドじゃないもん!、妄想キャリブレーションなどがメジャーデビューしていった。バンドじゃないもん!は2度目のメジャーデビューだ。
私が初めてアイドルのライブに行ったのは1999年のことだが、それは広末涼子の武道館公演という大規模なものだった。
ライブに足しげく通う「現場系」のスタイルになったのは、ソニンの東京公演に行くようになった頃からだが、今考えると現場の数が少なかったし、そもそも当時のソニンはすでにメジャーな存在だった。
その後「地下現場」と呼ばれるような場所に初めて私が足を踏み入れたのは、2005年に行った姉妹デュオ・toutouのリリースイベントだ。
石丸電気SOFT 2でのイベントで、CDを複数枚買うとチェキが撮れるというシステムに初めて遭遇した日でもある。
私がライブに行き始めた2006年のPerfumeの現場は、まだまだ牧歌的な雰囲気だったことも思い出す。
ならば、それ以前のライブアイドルとはどういうものだったのだろうか。
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