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  • 2022.08.27

大事なのにすぐ忘れてしまうことは、ゲームで思い出せばいい── 『Unrailed!』脳

ゲームは、僕たちを「ポケットモンスター 価値/無価値」から運び出してくれる──

大事なのにすぐ忘れてしまうことは、ゲームで思い出せばいい── 『Unrailed!』脳

クリエイター

この記事の制作者たち

どうもたなかです。今日も締切が待っている。このエッセイも編集さんに送らねばならないし、他にもプロデュースワークだったり、自分の作品だったり、やることがいっぱいある。働きたくない。どうにも働きたくない

そしてここ30分、画面を眺めてはキーボードを叩き、首をひねってはDeleteキーを押し続けているGoogleドキュメントから離れ、Steamを立ち上げる。起動したのは『Unrailed!』。

僕たちは、いくつもある住居を渡り歩いている

【Unrailed!】協力して道を作り列車をゴールに導く男達

列車は動き出したのに、線路がない! このままでは脱線して大事故になってしまう。木を切って鉄を掘って、リアルタイムに線路をつくって伸ばしていくというとんでもない自転車操業ゲームだ。線路をのばすことに夢中になると、そのうち列車がオーバーヒートして炎上してしまう。水をかけて冷やさないといけない。現状を適切に把握して、いまやるべきことを確実にこなす技術が求められる。

着実に線路を敷いていると、心が落ち着いてくる。やることだらけの現実を忘れられる。ゲームは素晴らしい。ゲームは現実の再構築である。現実が持つ無数の要素から捨象を重ねて、独自の空間をつくり上げる。あるいは、現実の持つひとつの要素を突き詰めて拡張させる。たとえば生きていればお腹が減るが、ゲームの世界ではそのパラメータをオフにすれば、主人公はライフゲージの続く限り何も食べずとも無限に動き続ける。

望み通りにならない世界に対する反抗としてのゲーム。『スプラトゥーン』とか『CoD(Call of Duty)』みたいに倒されてもすぐにリスポーンすることは、人生が一度きりであって、交通事故に巻き込まれたり、流行り病に罹ったりすれば簡単に喪われてしまうものであることを忘れさせてくれる。

リアルな肉体をもって生きる現実から、ゲームという別の現実への移行。これは逃避というより複数の住居への移住である。スマホ上でTwitterを見たあとにインスタ、YouTubeへ…という回遊にも似る。それぞれ風習の異なる村みたいなもので、それらを一瞬にして渡り歩いている。それらを眺めるとき、自分の自我は共通しながらもどこか異なっている。その空間が規定する自分というものが確かに存在する

『Unrailed!』は、居酒屋のホール担当と何が違うのか?

じゃあ現実から逃れるためのゲームの世界で僕らがやっていることは、一体なんなのか? 一般的に、ゲームというのは遊びである

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