若いオタクはアニメからVTuberに流れたのか? 7つのポイントから考察
2022.07.31
クリエイター
この記事の制作者たち
ポップな曲調に自然な調声、踊るようなメロディライン、そして物語性のあるMVで、数々の名作を生み出してきたヒットソングメーカー・40mPさん。
2008年の初投稿以来、メジャーデビューやNHK「みんなのうた」への起用、シンガーソングライターデビューなどいくつかのターニングポイントを経ながらも、今なお精力的にボカロ曲を制作し続けている。
ボカロPと両立していた会社員時代のこと、作家としての独立、歌い手・シャノ氏との結婚や子どもの誕生など、プライベートな情報も明らかにしており、2018年には自身のボカロP人生をまとめたコミックエッセイ『ボカロPで生きていく 40mPのボーカロイド活動日誌』(KADOKAWA)を上梓した。プレイヤーとしてだけでなく、一つのロールモデルとしても後進クリエイターに背中を見せ続ける存在と言える。
今回はそんな40mPさんにインタビューを実施。同書で語られなかったことも含め、前編ではボカロPとしてのキャリア観、界隈における当時と今との違い、ボカロを用いる意義についてうかがった。
目次
- 広告制作会社とボカロPを両立した5年間
- 独立の決め手になったのは、「収入面」と「商業案件」
- 今のボカロの世界では、いい曲をつくれることが、もはや前提になっている
- ボカロの他にも、いろんな選択肢が見えてきた
──書籍『ボカロPで生きていく』では、活動を始めた当初、周りの人にボカロ歌唱の原曲ではなく「歌ってみた」を聴かせていたというエピソードがありました。40mPさんから見て、当時の界隈の空気感がどのようなものだったかうかがえますか?
40mP これは界隈の空気感というより、自分が勝手に感じていたことかもしれないんですが……僕が投稿を始めた2008年当時、「ボカロとは何か」がまだ世間に浸透していませんでした。
どうしても初音ミクのキャラクター性、イラストのビジュアルだけがイメージとして先行していて、それが何を指すのかは全く知られていない状況だったと思います。それゆえに、やや「オタクっぽい印象」を抱かれていた部分があった。
自分自身も元々アニメやゲームをたくさん見るようなタイプではなく、ニコニコ動画自体もボカロがきっかけで足を踏み入れたような形でした。なのでその文化自体に、ちょっと気恥ずかしさを持っていたことも事実です。
それで「ボカロで曲つくってる」とはなんとなく周りに言いづらくて。最初の頃、周りの友達に話すときは人が歌っているものを聴かせて、「こういう曲をつくってるんだよ」と紹介することもありました。
──ボカロを始められたのは、社会人になってすぐの頃だったんですよね。
40mP そうですね。社会人1年目の年にボカロ曲をつくり始めました。音楽制作自体は学生時代からずっと続けていたんですけど、社会人になって引っ越しもして、制作環境が変わる中で「せっかくだから新しいことを始めてみたいな」と思ったときが、ちょうどボカロが話題になり始めていた頃で。
当時はもう、ニコニコ動画にアクセスしていなくても、有名曲の名前が目に入ってくるような状況にはなっていました。それで「どんな曲があるんだろう」と興味を持って、聴くようになったんです。
──ボカロPを始めてから約5年は、会社のお仕事と両立されていたと伺いました。「キリトリセン」「からくりピエロ」「シリョクケンサ」といった人気曲の連発も会社員時代のことかと思います。当時、お仕事ではどんなことをされていたんでしょうか?
40mP 広告制作会社で、進行管理のような仕事をしていました。すごく忙しい業界で、繁忙期は残業で朝まで会社にいるような環境でしたね……。当時は曲をつくることが息抜きやストレス発散になっていて、逆にそれがあって毎日なんとか頑張れていた所はあるかもしれません。
平日はなかなかまとまった時間が取れなくて、土日をほぼすべて曲づくりに充てるような生活をしていました。
──『ボカロPで生きていく』の中で、仕事の合間に歌詞をメモしたり、歌を録音したりといったエピソードがありました。まさにあの通りの生活をされていたんでしょうか?
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