文化の壁を、あえて超えない──NiziUの成功に見る、VTuber海外展開のヒント
2024.09.12
イラストはこれだけブームになっているのに関わらず、「評論」というジャンルはほぼ存在しない。
近年の新興カルチャーでも、VOCALOIDなどの音楽やVTuberといった文化は調べればいくつも評論を見つけることができるし、ジャンルとしても少なからず存在している。
それ以上に歴史のあるイラストにおいて、なぜここまでイラストを語る言説が少ないのか。その背景や事情を分析する。
目次
- ユニークさや素晴らしさだけでは、アートではない
- イラストに評論が存在しない、2つの理由
- イラストに賛否両論は存在しない?(褒めてます)
- ただし、教本だけは批判に晒される
- なぜ、評論が必要なのか?──100年後にも残る言葉を
少し前に、世界的アーティストの村上隆氏が登場したYouTube番組「ReHacQ」が話題になりました。動画の中で村上隆氏は「100年後はアニメや漫画は歴史の中で最先端の芸術であると立証されると思う」と強調しています。
彼の言葉を借りれば、漫画について感動したことがあれば、それを人類の芸術史に紐付けてしっかりと語ることが芸術になる、と話してました。
たしかに現時点で、漫画やアニメなどの商業的な娯楽作品は、芸術という視点ではそれほど捉えられていないと思います。素晴らしいとかユニークだという意味で「芸術的」「アート」と言われることはあるかもしれません。しかしそれは、いわゆるコンテンポラリーアートの世界で評価される芸術性とは異なった見方です。
一方で漫画やアニメはしっかりと評論という観点では語られています。評論とは制作者以外の人間が、その作品について様々な角度で価値や良し悪しについて述べることです。1クールアニメの『魔法少女まどか☆マギカ』でも本を一冊出せるし、エヴァやスタジオジブリになるとさらに膨大になります。
平面芸術という点では時に交錯するアートにも評論は存在するのに、これがイラストになると、評論というジャンルがほぼ存在しなくなるのです。今回はなぜこういった現象が起きているかについて考えていきます。
ただし、本文はあくまでも日本国内においての言及になります。アメリカや中国などの海外SNSを見ると、イラストに対するコメント数も多いので、評論も存在している可能性はあります。
なぜイラスト評論が存在しないのか?
1.評論がなくても成立する
2.評論をするのがしんどい
私が考える理由は上の2つです。
まず「1.評論がなくても成立する」については、現在のイラスト市場が、描く側にとっても見る側にとっても、ハイコンテクスト(文脈依存度が高い)になっているからです。
表現や文脈に対して詳しい人が多数いて、また彼らは閉じたコミュニティを形成しています。「この表現は新しい」「この構図はあれのオマージュだ」などといったことが暗黙的に理解されています。その読み方がわからない人は、単に綺麗な絵として解釈するか、単純に興味を無くすかのいずれかです。
そのため、「なんとかして理解したい」というモチベーションが生まれにくい状況であると私は考えています。
これがアニメ、ゲーム、漫画だと、ストーリーがあるので「あのオチはどういう意味だろう?」「ヒロインのセリフはどう解釈する?」「ライバルのあの行動で感動した!」などの文脈に対して知りたい気持ちと共感したい気持ちが増幅される構造が生まれます。こういったニーズもあり、「あれはこういうことなんよ」という解釈や考察が発生し、そこにも評価が集まるのです。
イラストは基本的にテキストが存在しないので、絵だけを見て判断することになります。多くの人は当たり前に行っているような行為ですが、絵を作品として理解するには、学習が必要になります。それまでの芸術的な規範を脱却しようとした表現である「キュビスム」への理解なくして、ピカソの絵を理解することが困難なように、現代の美少女イラストの素晴らしさも、本来は、同等かそれ以上のコンテクスト(文脈)を孕んでいるはずなのです。
しかしイラストは、全くコンテクストを共有していなくても、文脈を完全に無視してそれ単体でも表現として審美されることが容易い表現でもあります。「(自分にとって)綺麗に見えるかどうか」という審美は、「好きか嫌い」といった主観的と結び付いて、誰でもできてしまうからです。この点が、同じ平面芸術であってもステートメント(言葉による趣旨説明)と強く結びついているため難解な主題やモチーフも採用できるアートとも違う、イラストの独自性でもあります。
さらに話を進めると、実は、現代においては、このイラストのコンテクストを理解して読解・評価できる鑑賞者がやたらに増えてしまった、というのが昨今のより面白いところです。
なぜこのような読み方ができる人が多いかというと、特にキャラクターイラストに際しては、アニメやゲームの影響が大きいからだと考えています。それらの作品を元に描かれた、二次創作では原作という基本設定がある状態で、イラスト表現のみに注力することも可能です。つまり、原作の文脈を利用することで細かな設定を考えずに、表現力のみを上げることに集中できるのです。
20年程前までは、イラストはもっと小規模な市場でした。田中久仁彦氏やTOKIYA氏(現7ZEL)の天才性はごく一部の間でしか共有されてなかったと思います。
今でいうと、米山舞氏は様々な世界で評価されてますし、SNSのフォロワー数も130万人を超えている一線クリエイターです。しかし彼女の一体何がすごいのか、という具体的な話はなかなか出てきません。あったとしても対談の中で「米山さんは〜がすごい」といった文脈であり、イラスト界隈というコンテクストの中で閉じられがちです。いずれの評価も相手に了解が得られる、もしくは了解を得られそうなコミュニケーションの中で生まれるのです。
しかし米山舞氏の技術力や発想のユニークさ、商業アニメーションとの接続などは十分に論じるに値すると思いますし、できるだけ非イラスト圏からの批評である方が、彼女のアイデアを多角的に考えることができるはずです。
単にユニークなものを「アートっぽい」とまとめて表現してしまうと、情報が悪い意味で均一化してしまうところがあると私は考えています。
「アオいいよね」「いい…」
という『こち亀』の有名なミームがありますが、この価値観がさらに巨大化したコミュニティがイラストの世界だと私は考えています。主語や述語をぼかすことで、通じ合っているようでいて、実は一部のミームを共有しているだけで、案外情報がないのではないかと感じています。
もちろん多くのコミュニケーションでは「共感のみがあれば良い」というケースも多いので、なにもかもを詳らかにする必要はないと思います。
それでもあらゆる作品や作者に対して「かっこいい」「可愛い」「個性的」で片付けるのではなく、ある程度野暮なことを言うコミュニケーションを認めてもいいのではと考えてます。
しかし、これは次に述べる「2.評論をするのがしんどい」問題がさらに難しくしています。
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