庵野秀明と『エヴァンゲリオン』が引き継いだ、究極の欲望
2021.03.19
宇宙SFの屈指の名作『プラネテス』、そして現在連載中のヴァイキングたちの生き様を描く『ヴィンランド・サガ』。
幸村誠の描く両作品は、遠い未来の宇宙、あるいは11世紀初頭の北ヨーロッパを舞台とし、一見あまりに遠く離れた題材ながら共通する主題を持つ。
神とは、愛とは何か──。幸村作品を読み解くことは、その命題に挑むことに等しい。
目次
- 縁起とは何か 存在証明としての関係性
- 『プラネテス』ハチマキ、タナベの「悟り」の境地
- ロックスミスは、神をどう否定するか
- 『ヴィンランド・サガ』に受け継がれるハチマキ、ロックスミスの意志
- 幸村誠の描く「愛」の本質
- トルフィンたちは「ヴィンランド」に至るのか
突然ですが、『プラネテス』のこのシーンは幸村誠作品における「神の不在」を象徴しています。
……といきなり言われても意味が分からないと思いますので、少し解説させて下さい。
まず、神とは何か。一言でいうならば、人智を超えた絶対的存在です。
多神教における様々な神々や、アニミズム的な自然に宿るとされる神など、神という日本語には複数の意味合いが付随していますが、ここでは一神教における神、すなわち“God”という意味での神です。
絶対的存在とは、ドイツの哲学者・カントの言葉を借りるなら「アプリオリ」な存在。アプリオリとは、経験に先立つ第一原理として存在するものです。
超簡単に神を証明する理屈としては
1.現実に存在するものがある
2.存在する原因があるはずである
3.よって神は存在する(最初の原因を神と呼ぶ)
など、まあ色々あります。
ここからが本題なのですが、そんな絶対的存在としての神を否定して興った宗教が世界でほぼ一つだけ存在します。
それは、仏教です。
厳密にいうなら「神を否定することで興った宗教」ではないのですが、少なくともその思想は、一神教的世界観を持つバラモン教が支配する古代インドで誕生しました。
では具体的に、仏教はどのように「神を否定した」のか。
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関係性だけが存在の輪郭を露わにする──タナベとハチマキ、そしてロックスミスの立場
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