変化するVTuberのプラットフォーム勢力図──TikTok隆盛、SHOWROOM衰退の背景を考える
2023.05.10
戦後最大の思想家とも謳われる吉本隆明の出世作に『マチウ書試論』というエッセイがある。
どういう内容かというとキリスト教徒の聖典で救世主・イエスの奇跡の数々を記した新約聖書の巻頭に収められたマタイ(マチウ)による福音書を「人類最大のひょうせつ書」とし、ボロクソに批判した本である。
具体的に何から何をパクったのか。
例えばジェジュ(イエス)が人々に触れて病気を治すエピソードは、ヘブライ聖書(旧約聖書)列王第二書にあるヨルダン河に7度沐浴したら病人が幼児のような清浄な肉体にかえったエピソードからだし、ジェジュの死後の復活物語は、ヘブライ聖書のうちのダニエル書にある獅子の穴に封じ込まれたダニエルが無傷のまま穴から出たエピソードをヒントとしている等々……。
「マチウ書のなかで、読むに耐えるほどの章句にぶつかったら、それは一応、原典があると疑って大過ないとおもわれる」とまで書かれており、旧約聖書や他の福音書から引用・改変されたと思われる箇所が非常に多い。
一口に旧約聖書と書いたが、前提としてユダヤ教にとってそれは聖典そのものである。“旧約”という呼び名は新興宗教として興ったキリスト教視点での名称であり、そこに新しい神との契約として新約聖書が加わったものが一般的に聖書と呼ばれている。
それを踏まえた上で、『マチウ書試論』では例えば新約聖書最大の謎の一つとも言われるユダの裏切りについて、キリストを裏切るユダの心理を読み解くのではなく、「キリスト教を迫害するユダヤ教」という図を公に認知“させたい”歴史的背景を知らなければ理解できない、といった内容なども書かれている。
要するにマタイの福音書……というより、新約聖書におけるイエスとは、当時存在していた神話・伝承・伝説・思想・歴史、そしてキリスト教の未来への展望を、たった一人の人間に集約した結果生まれたフィクショナルな存在であり、福音書の作者(たち)によって徹頭徹尾プロデュースされた存在なのである。
……と色々書いたが、常識的に考えてみれば新約聖書がつくり物であることなんて小学生にでもわかることだ。死者は蘇らないし、海の上は歩けないし、パンや魚は勝手に増殖しない。
しかしそれでもなお、キリスト教は約2千年の歴史を持ち、現在も世界で20億人以上から信仰されている。
事実よりも主観的な真実が優先されがちな「ポスト・トゥルース」時代の到来や「ファクト・チェック」の重要性が叫ばれて久しい昨今だが、それが嘘か真かより優先してしまう何かが、古来より人間にはあるらしい。
人は何かを信じたいし、信じたいものを信じる。そして、人々が信じたいものを造形する人々もいる。
ここで、第一話の冒頭を読んでほしい。『【推しの子】』は、そこから始まる物語である。
目次
- 『【推しの子】』が描く“アイドル”というフィクショナルな存在
- 人はなぜ嘘を信じるのか?
- 『【推しの子】』における“虚構と現実”の複雑な入れ子構造
- 感情の中でも最も強いもの──その感染力
- 嘘で固められたアイドルの本当の姿を描く『十五年の嘘』
- 『【推しの子】』に待ち受けている未来について
この物語はフィクションである。というか、この世の大抵はフィクションである『【推しの子】』
この文言から始まる『【推しの子】』という物語は、嘘自体が作品のテーマだ。
主役である双子の子供を世間に隠すという選択をした母親・アイ、嘘の笑顔に嘘の言葉、シナリオの主軸である「死んで生まれ変わった」という転生自体の高い虚構性。
その中でも『【推しの子】』で最もフィクショナルな存在として扱われているのが“アイドル”だ。
アイドルとは何か。語源はラテン語のidolum=偶像を意味する言葉なのだが、日本のそれはガラパゴス的変容を遂げている。
2023年4月現在、Wikipediaのアイドルの記事をそのまま引用すると“恋愛感情を持つ熱狂的なファンが売上のメイン層を占めている歌手、俳優、タレント”とのことだが、現在進行形で変化し続けているアイドルという人種を定義するにしては、いささか古くさい印象を受ける。
そこで、本記事ではアイドルを以下のように定義したいと思う。「アイドルとは、現実と虚構を行き来する存在である」と。
少しわかりにくいと思うのでいくつか例を挙げよう。
例えば「ホロライブ」「にじさんじ」等に代表されるバーチャルYouTuber、通称VTuber。彼ら彼女らは二次元の存在であり、同時に三次元の存在でもある。
ファンタジックであったり、そもそも人間ですらなかったり、多様性という言葉でも足りないその姿形や、その口から語られる話の内容や感情の“本当さ”、何より時代を代表する人気は、まさに現代のアイドルの代名詞と言えるだろう。
もっとフィクション寄りのアイドルでいえば、Cygamesによるソーシャルゲーム及びメディアミックスコンテンツ『ウマ娘 プリティーダービー』を挙げたい。
馬の耳と尻尾が生えた美少女が己の脚力を競い合う──文面だけ見ると控えめに言って狂気を感じる内容だ(しかもなぜか勝ったウマ娘は歌って踊る)。
その虚構性の高さに説得力を持たせているのは、実際の競馬の歴史、百年以上続く史実に基づく実際の物語である(実在する艦隊を擬人化した『艦これ』などもアイドルではないが似た事例だ)。
ここまで読んでいただいたらわかると思うのだが、なぜ冒頭で新約聖書の話をしたのかというと、(少なくとも本記事では)イエスのことをアイドルの系譜(始祖)として考えているからである。
歌って踊りこそしないものの、その人物が実在したかどうかすら怪しいまま、人々は彼を崇拝し、その思想は伝搬し、様々な戦争を起こしながらやがて世界に広がった。
では本記事で扱っている『【推しの子】』ではアイドルを、そして現実と虚構の関係をどのように描いているのか。大きく3つにわけて考えてみたい。
一つは、「嘘も吐き続ければ本当になるかもしれない」というアイの人生観そのものだ。
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