若いオタクはアニメからVTuberに流れたのか? 7つのポイントから考察
2022.07.31
「私たちは自由でなければならない」
エーリッヒ・フロムの著に『自由からの逃走』という本があります。
僕なりに超簡単に説明すると、大衆一人ひとりが自由というものを得たものの、その自由の持つ孤独と責任に耐えきれずに、思考や決定権をファシズムに依存してしまった、という内容などが書かれています。
大量殺戮、人種差別、選民思想、人体実験……ナチ主導で行われた数々の非人道的行為は、悪の代名詞と言えると思います。
ではヒトラーらナチズムを支持した「大衆」は悪だったのか? 曖昧な問いなので一概には言えませんが、少なくとも一つ確かなのは、この「大衆」も、もっと言うならばヒトラーさえも、私たちとそんなに変わらない、同じ人間だということです。
善悪というのは基本的にただの解釈であり、後からしか判断できません。正しい事柄というものは存在せず、ただそれを「正しいだろう」と信じて行動するしかありません。
さらに言うならば、善悪とはしょせん「ある集団にとって望ましいか否か」というただの物差しに過ぎず、立場によって見え方が変わるのは当たり前のことです。
だからこそ、私たちはファシズムを悪と言わなければならないわけです。「明らかに望ましくなかった歴史」を人類という集団が繰り返さないために。
目次
冒頭に「私たちは自由でなければならない」と書きました。理由は単純明快です。ファシズムにならないためです。
私たちは悲劇を繰り返さないために、自由でなければならない。気を抜くと簡単にファシズムに加担してしまうのだと、自覚しなければならない。辛くても、自分で考え、自分で選ばなければならない。これが過去から学ぶべき現代人の持つべき責任、使命と言えるでしょう。
一言でいうならば、自由とは悪に陥らないための処方箋、対抗策なんですね。
……のはずだったんですが、『進撃の巨人』では、最も自由を求めたエレンがまるでヒトラーのような人類悪になっているという、ヤバい展開になってるんですよね。
まずエレンの自由とは何か、なぜ彼は自由を求めるのかについて書きたいと思います。
なぜ彼は自由を求めるのか。それは端的に言って、運命を許せないからです。
では「運命」とは何か。それは“自分で選択できない状態”のことです。
例えば作中でいうエレンを襲った最初の“運命”は、超大型巨人によって街や母親を失ったことです。
本人の意志が介在する余地がなく、絶対に避けられない状況、これを運命と呼びます。
進撃の巨人では「残酷な世界」「奴隷」「服従」「家畜」「理不尽」「仕方がなかった」などのキーワードがしばしば語られますが、これらは運命とほぼ同義語ですね。
これを、エレンは許せない。
……ところで、この支配よりも自由を求めるエレンには、明確なモチーフがあります。
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