若いオタクはアニメからVTuberに流れたのか? 7つのポイントから考察
2022.07.31
突然なのですが、『進撃の巨人』を最後まで読破された方で、この1ページの意味を読み解けた方ってどれくらいいらっしゃいますでしょうか?
最初に書いておきますと、当記事は最終的にはこのシーンのヤバさについての考察記事になります。普通に文脈読み解いたら分かるよ、という方には退屈かもしれませんが、このたった1ページに込められた意味が理解できたとき、自分は漫画史に残るほどの衝撃を覚えました。
まずはおさらいからいきます。『進撃の巨人』は運命と自由を巡る物語である、という内容を前回の記事で書きました。
要約すると、
運命とは「選択できない状態」であり、
自由とは「選択できる状態」であり、
究極の運命とは「生まれてきたこと」であり、
究極の自由を「神(何でも選べるもの)」と呼ぶ。
自由は「悪(ファシズム)」に陥らないための対抗策だったはずなのに、『進撃の巨人』においては自由を最も求めたはずのエレンがなぜか悪そのものになろうとしている。
……というものでした。
それを踏まえた上で今回の記事で書くもの──それは『進撃の巨人』で描かれた「運命と自由」を越えるものについての考察です。
目次
- 運命と自由──エントロピーの法則から考える世界の仕組み
- ジークとアルミンの対話から考える、運命論的ペシミズム
- アルミンが肯定した「美しい」瞬間 シーシュポスの超克
- 運命そのものを変える エレンと巨人の力
- ユミルを肯定し、解放したミカサの「愛」
- 『進撃の巨人』という物語の開始地点はどこか
- 豚を見るユミルは、何をしていたのか
最初に、前回とは全く違う視点から「運命と自由」についてアプローチしていきます。
熱力学第一法則というものがあります。小難しい単語が出てきましたが、これは中学校で習うエネルギー保存の法則と全く同じものです。エネルギー保存の法則とは「どのような変化が起きようが、エネルギーの総量は変わらない」という物理学における基本的な法則です。
念の為に復習しておきます。坂道の上のほうからボールを転がしたとき、その位置が高ければ高いほどボールの転がる距離は伸びます。位置エネルギーは運動エネルギーへ変換されていますが、そのエネルギー量自体は同じです。
では転がしたボールがいずれ止まる=エネルギーが消えてしまったかのように見えるのはなぜか? それはボールと地面の間に摩擦が生じ、熱エネルギーへと姿を変えているからです。この場合は運動エネルギー=熱エネルギー、ということですね。
法則というのは、経験則に基づいています。これがどういうことかというと、例えば“1+1=2”という数式は未来永劫変わらない真理ですが、法則は「これまでその法則は破られたことがなく、今後も例外が出ることはないだろう」という信頼によって成り立っています。
ここで、少しスケールの大きな話をします。我々の住むこの世界、この宇宙はビッグバンによって始まったというのが現在最も有力な説です。ビッグバンとは一言でいうと、138億年前に起こった高温度高密度の爆発的膨張です。
エネルギー保存の法則に従うなら、この宇宙がビッグバンより大きなエネルギーを持つことはありえません。そして我々の存在やそこらへんに落ちている石ころさえ、このビッグバンが起きた際のエネルギーの一部、ということになります。
ではエネルギーが保存されるならビッグバンから始まった宇宙というのは未来永劫続くのか? というとそういうわけにはいかず、なぜならエネルギーには量だけではなく質というものが存在するからです。
そこに関係してくるのが熱力学第二法則、エントロピー増大の法則です。
エントロピーとはでたらめさ、乱雑さ、無秩序さを表す概念で、エントロピーの増大とは自然の中でのエネルギーの流れる方向性を示しています。世界はでたらめになっていくばかりで、自然と整頓されることはない、そんな不可逆性を表した法則です。
お湯は時間が経てば水になるが水が自然とお湯になることはない、部屋は気付けば散らかるが勝手に整理整頓されることはない──私たちの生活レベルで説明するならそんな法則です。
……長々と書いてきましたが、言いたいことは一つだけです。「エネルギーの総量というのは予め決まっており(熱力学第一法則)、それは損なわれていくばかりである(熱力学第二法則)」。当記事ではこれを運命と呼びます。
すると、当然こんな反論があるかと思います。確かにお湯は時間が経つと水になるかもしれないが、私たち人間は水を温めることができるし、部屋を綺麗にすることができる。これはエントロピー増大の法則と矛盾するのではないか?
結論から言うと「ある程度のエネルギーが環境から与えられると、局所的にあたかもエントロピーが減少しているように見える」だけであって、自然の大きな流れに逆行しているわけではありません(「マクスウェルの悪魔」でググると面白いかもしれません)。
しかし、エントロピーの増大に抵抗する行為だということだけは確かです。
失われていく世界で何かを生産すること。これを自由、そして生命と呼びます。
そして『進撃の巨人』の言葉を借りるなら、それは「増える」ための行為です。
『進撃の巨人』という物語は、事あるごとに「人はなぜ生きるのか?」「何のために生きるのか?」を問い続けてきた作品です。
もっと言ってしまうならば、人間は絶対に巨人には勝てないという絶望や壁の中でしか生きられない人類、「どうせ死んでしまうのに生きることに何の意味があるのか?」という厭世観が根底にありました。
終わることが初めから決まっているのになぜ頑張るのか? 運命論的ペシミズム、とでも言いましょうか。それが最も極まったキャラクターが“獣の巨人”を有するエレンの異母兄・ジーク・イェーガーです。
生命活動は無意味であるという、悲観主義、反出生主義。熱力学的な観点から見ると、生きることは無価値であるというジークの理屈は自然で正しいのでしょう。
しかし、人間という生物は理屈では生きていません。感情や欲望、本能など他の様々なものが優先される生き物です。
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