“VTuber×アニメ”事例の今後を占うか? キズナアイ『絆のアリル』分析
2023.04.12
クリエイター
この記事の制作者たち
オリジナル作品「虫メカ少女」や、HAL東京 2016年度TVCM「嫌い、でも、好き」篇のキャラクターデザインで話題となり、バーチャルシンガー「花譜」のキャラクターデザインも務めるなど、自らの歩みでもって現代のイラストレーター像を拡張し続けるPALOW.。
2019年からはクリエイティブスタジオ「SSS by applibot」に参加し、リーダーとして様々なクリエイティブに関わってきた。米山舞にBUNBUN、セブンゼルなど全員が超越した技巧と圧倒的な個性を持つスターメンバーを揃えながらも、実は何をやってるチームなのかを十分に示せていない感覚があったという。
「このままじゃたぶん解散するんだろうなって空気がありました」──その危機感の元、4年目を迎えるチームの新たな試みとして、PALOW.自らがプロデューサーを務め2022年に展示会「Re\arise」を開催。「SSS by applibot」のクリエイティブスタジオとしての矜持、そしてイラストレーターのさらなる可能性を示してみせた。
異次元級のエキスパート集団を大黒柱として支えつつ、個人のクリエイティブも充実させ、まさしく縦横無尽に活躍を広げるPALOW.だが、自らの一番の能力は絵を描くことでも、デザインでもないと語る。
挫折と深い絶望を経験し、それでも絵の世界に舞い戻った彼独自の創作哲学とイラストレーターシーンに示したいもの、挑戦の果てに成し遂げたい理想の世界を解き明かす。
目次
- 家庭の事情から美大進学を断念 ハマったのは……
- イラストの師匠との出会い。待ち受けていた、過酷な環境
- 存在価値を示せるものがゲームしかなかった
- SSS by applibotが欠けることなく続く理由
- このままじゃ解散するんだろうという空気があった
- かつての「絵描き」、現代の「イラストレーター」の定義
- 作家性を追求しても不幸にしかならなかった──PALOW.の絶望
- 問題をつくる側と答える側
- PALOW.流、世界征服のススメ
- 作家性を追求して、正直に生きていい場所
──PALOW.さんは、現在のように活躍される前に絵から離れていた時期があったことや、あるイラストレーターさんに弟子入りしていたことなどが語られています。改めてこれまでの経歴についてうかがえますか?
PALOW. 親父が画家だったので、僕も絵を描く人にはなるんだろうなって考えはずっとあったんです。親父はフォーク世代で、毎日夜になると酒飲みながらギターを弾きだす人だったので、音楽も身近にある子ども時代でした。
両親とも育ちは良いんですけど、世間知らずだから結構貧乏で、普通に水道と電気が止まったりするのに、紅茶を飲んだりレコードを持っていたりと、文化水準は高かったんです。ゲームとかオモチャがない代わりに身近にあるもので遊ぶことが多かったので、僕と弟は親父のレコードとラジカセで多重録音して音楽をつくって遊ぶみたいなこともしてましたね。
──ではゲームとかにはあまり触れずに育った?
PALOW. 友達に借りてました(笑)。家は貧乏だったのに、住んでる地域はお金持ちが多かったんです。友達の家に遊びに行くと、自分の家のリビングよりそいつの部屋の方が広いみたいな。どこかの社長の息子もいて、そいつはゲーム機とかソフトとか周辺機器を全部揃えてるけど塾とか習い事で全然遊べないみたいで、ゲームを借りて遊んでたところから『ビーマニ』(beatmania)にハマって。
そこからアングラな音楽を漁ってクラブミュージックとかオールドスクールとかのヒップホップも聴くようになった。小学生の時に人生で初めて買ったCDがZeebraの『MR.DYNAMITE』だったんですよ。
──初CDが『MR.DYNAMITE』!
PALOW. 小学生ながら、ラッパーが爆弾持ってるジャケットがカッコいいなって思ったんですよね(笑)。
PALOW. ヒップホップのサンプリング文化も、ガンプラが買えないから空き箱とレゴでロボットをつくっていた僕としては共感することも多かったし、ヒップホップは今でもよく聴いてます。
──音楽にも多大な影響を受けているんですね。
PALOW. 『ビーマニ』経由でさらに「BMS」にハマっていきました。
※『BMS』 『beatmania』を模したPCゲームシステム。プレイする楽曲を拡張できたため、オリジナル楽曲を制作し披露するコミュニティがインターネット上で発展した。一方で、知的財産権の観点からはグレーなカルチャーでもある
PALOW. O-SEさんというクリエイターさんに曲のつくり方とかソフトの使い方を学んで、弟と一緒に本格的に音楽をつくるようになったんです。
10代の時って経験の差もデカいから、それまでは何をやっても兄である僕の方ができていたんですが、音楽に関しては明らかに弟に才能があったんですよ。弟はその後トラックメイカーとかDJもするようになるんで本当にすごかったんですが、それを見て音楽は弟に任せようって気持ちになりました。
──その後、イラストの道に進むのでしょうか?
PALOW. デザイン系の高校に通っていたので、卒業後は美大を目指してました。今でこそ実家は貧乏だったってわかるんですけど、当時はそんな風に思ってなかったんですよ。
じいちゃんばあちゃんは金持ちだし、なんだかんだどうにかなるというか「ファッション貧乏なんだろうな」くらいの感覚だったんですが、1回浪人して美大に受かった段階で初めて「お金がないから大学には通わせられない」って言われたんです。
──えっ…それは先に言ってほしかったですよね。
PALOW. 見栄っ張りだったんだと思うんですよね。実は今まで親戚とかからお金を借りてなんとかしてたこともわかって。一瞬グレそうにもなったんですが、まぁ仕方ないかって気持ちに落ち着きました。
とはいえどうしたものかと考えてたところ、当時mixiでとあるクリエイターさんと連絡をとるようになって。その人が東京に呼んでくれて、弟子入りというか一緒に仕事をさせてもらうようになったんですが、会ったその日から三日三晩徹夜で働かされて……あまりに厳しい方で、もうメンタルが壊れる寸前のところまでいってしまって、1年も経たずに辞めることになったんです。
今思うと普通じゃない環境ではあったんですが、彼が天才だったのは確かだし当時はその人が自分にとってのイラスト業界のすべてだったので、「この環境が無理なら絵の仕事は向いてないんだな」って思ってしまったんですよね。
──右も左もわからない駆け出しの身だと、そう思っても無理ないですよね…。
PALOW. すごい実績のある人だけどとにかく合理的に成果だけを追求する方で、ロボットみたいに無慈悲なまでの正しい判断をくだせる人だったんです。そういう考えは自分の考え方にも確かに影響してて、その経験がなかったらその後もうまくいってなかったとも思う。
ただ当時はまだ19歳だったから、その体験は大きな挫折で、地元に帰ってしばらくは迷走してました。音楽をつくったり、動画をつくったり、バイトでWebデザインをしたりもしたんですが、ほとんどニートのような状態でしたね。
──そうだったのですね…。
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