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  • 2020.08.21

90年代から続くフィメールラップ史 新時代を告げた2人の女性ラッパーの存在

これは、まともに語られてこなかったフィメールラップ史の編纂であり、再定義でもある。

気鋭ライター「つやちゃん」による、現象としてのフィメールラッパー連載始動。

90年代から続くフィメールラップ史 新時代を告げた2人の女性ラッパーの存在

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サブスクリプションサービスで、YouTubeで、TikTokで、そしてクラブで。フィメール・ラップは今大きな力を持ち、時代の音として鳴っている。

路上サイファーで女性が場を沸かせる光景も珍しくなくなったこの時代、コロナ禍でSTAY HOMEに入るや否や、Zoomを活用したマイクリレーで話題をさらったのはvalknee田島ハルコなみちえASOBOiSMMarukidoあっこゴリラらフィメールラッパーの面々で、MVのメイキングを手掛けたのは大平彩華だった。

Zoom - valknee, 田島ハルコ, なみちえ, ASOBOiSM, Marukido, あっこゴリラ

さらに2020年、最もヒットした日本語ラップミュージックは重盛さと美feat.友達の『TOKYO DRIFT FREESTYLE』であり、いまだバイラルに拡散を続けている。Awichは、ここに来てついにメジャーデビューを果たすことになった。気がついたらそうやって、2020年代が始まっていた。

重盛さと美feat.友達 TOKYO DRIFT FREESTYLE🍜🔥

「フィメールラッパー」という括りでラッパーが語られる際に「女性のラッパーも負けていない」「本格的なラップを聴かせる」という紹介が続き、その度に不自然さと違和感を感じるというあの経験も、さすがに最近は減ってきた気がする。

フィメールラッパーは現在、才能豊かな役者を数多く揃え、過去最高にシーンを盛り上げていると言って良いだろう。時代は、女性のラッパーをわざわざ特異な視線でもって括る必要性をいよいよ失いつつある。

いま必要とされているのは、半ば思考停止的にサブジャンルとして彼女たちをカテゴライズするのではなく、現在進行形で時代と共鳴し続ける「現象」として扱うことではないだろうか。

性別を元にした括りは同じでも、両者の含む意味合いは大きく異なっている。フィメールラッパーとは、「新世代若手ラッパー」や「神奈川ヒップホップシーン」等の括りと同様に、この時代をとらえる上で避けて通れない一つの高い熱量として輝きを放っている、非常に興味深い「現象」なのだ。

ただもちろん、この現象は突然に始まったものではない。ルーツがあり、重ねてきた歴史がある。そして意外にも、片隅に追いやられていたフィメールラッパーの歴史は、日本における本流のヒップホップの歴史と密接に絡み、相互に影響を及ぼし合いながら独自の豊かな文化を形成してきた──私が本論で掲げるのは、そのような仮説である。

執筆:つやちゃん 編集:新見直

目次

  1. 1994年 - 1996年 『DA.YO.NE』のヒット、さんピンの紅一点
  2. 1997年 - 2005年 「B-GIRL」の誕生
  3. フィメールラッパー時代の始まりを告げた2009年
  4. 新たな才能が息吹く新時代へ 14年前に送られたエール

1994年 - 1996年 『DA.YO.NE』のヒット、さんピンの紅一点

アメリカでは一足早く1980年代末にMC LyteやQueen Latifahらがデビューしフィメールラッパーに物珍しい視線が注がれる中、1994年、ついに日本でもある一人の女性に注目が集まる。当時からアンダーグラウンドシーンで地道な活動を展開していたEAST ENDが企画盤CDでコラボレーションしたYURI(市井由理)とのナンバー『DA.YO.NE』が北海道のラジオ局やタワーレコードで火がつきじわじわと全国区に拡散、約1年以上をかけてミリオンセラーを記録した。

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EAST END×YURI『DA.YO.NE』Via Amazon

「だよねー/言うっきゃないかもね/そんな時ならね」でおなじみの、ノリにおいても情景描写においてもトレンディな90年代カルチャーが詰まったひたすらに楽しいヒット曲『DA.YO.NE』は、YURIのお喋りラップの無邪気さがヒップホップの自由度を大きく押し広げ、お茶の間を席巻するに至ったのだ。

EAST END×YURIのヒットとマスアピールは、当時本場アメリカのヒップホップを吸収しつつ国内シーンのコア化を推し進めた勢力──例えばMICROPHONE PAGERら──と牽制し合いながらオーバー/アンダーグラウンド双方を活気づけていった。

ある側面ではマス化し大衆を踊らせるヒットチューンとして巨大化していきつつも、一方ではリアリティとハードコア性を保ちながらアンダーグラウンドを制圧するという両軸が、常にシーソーゲーム的均衡を繰り返しつつ進化していくのがヒップホップの醍醐味である。

EAST END×YURIの功績は、当時の国内のヒップホップ文化がそれら表層的なマスと閉鎖的なコアのどちらにも偏ることない健全な対立構造を生んだ点にある──今となってはそう振り返ることもできるかもしれない。

※この記事は期間限定でプレミアムユーザー以外にも開放されています。

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“周辺“への拡散と「B-GIRL」の誕生