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  • 2019.08.13

ラッパーになるか、ヤクザになるか 結成前夜のすべて

「俺らは集団で金を稼ぐカルテルだから、それぞれ役割分担があるんですよ」

プロデュース的な役回りも果たすリーダーのBADSAIKUSHは語る。

舐達麻

APHRODITE GANG(アフロディーテ・ギャング)を屋号にする彼ら。現在は3人で活動する舐達麻を中心に、メンバーは数十人に上る。

全員がラッパーというわけではなく、構成員は熊谷を中心とした近隣の地元仲間だ。

1989年生まれ、共に30歳のBADSAIKUSHとDELTA9KIDは、いつも一緒につるんで来た幼馴染。どんなことも話せる間柄だ。

今はここ熊谷のLagoonが主な拠点に落ち着いているが、それまでは埼玉のクラブを転々としてきた。

「鴻巣のCLUB AQUAで(ライブ)やってたのが10年前かな? 7年前に潰れたんですよね」

そう語るG PLANTSは、3人の中では一つ上の31歳。

2人よりもどこか落ち着いていて、いかつい身体つきとは裏腹に、誰よりも人懐っこい笑顔を覗かせる。2人からは「本ちゃん」と呼ばれ慕われている。

G PLANTS

G PLANTS

「今一緒にアフロディーテやってるムササビって先輩たちは六つ上で、AQUAにデモ置いといたら聴いて連絡くれたんすよ。ライブやってくれって」(G PLANTS)

舐達麻の発足は、遡ること10年前の2009年頃のこと。

そして2009年は、メンバーが1人亡くなり、BADSAIとDELTAが逮捕された事件が起きた年だ

“ただの不良”だった舐達麻メンバーの過去

断片的に語られてきたこれまでのことを、時系列順に全部知りたい。そう頼んだところ、「めちゃくちゃややこしいっすよ。ほんとに聞きたいですか?」。BADSAIはそう確認しながら、これまでのことを順を追って語ってくれた。

舐達麻結成以前、3人は49(フォーティナイン)という“ポッセ”に所属していた。はじめに所属したのはG PLANTS。

中学の時にラーメン屋で働いていた先輩に教えてもらって出会ったヒップホップを自分も始めるようになったのは19歳のこと。

当時、印刷会社で働いていたG PLANTSは「給料よかったからCD買いまくって聴いてたら、そのうちヤバイのがいるって言われて」紹介された人がいた。それが、49を率いる「ナンシー」という四つ上の先輩だった。

「北関東“にしては”やばいラッパー。ほとんどヒップホップなんてなかった田舎にしては(練マザファッカー)D.Oとか呼んでて」(G PLANTS)

当時は近隣のヒップホップ界隈の顔役で、のちにヤクザになるナンシーは、その後も度々、3人の過去に登場することになる。

「俺らは15から知ってるんですよ、ナンシーのこと」と言うBADSAI。

BADSAIKUSH

BADSAIKUSH

中1から、ほとんどBADSAIの家に住んでいたというDELTA。

「(DELTAとは)まじで兄弟で。中2の時、俺がいなくて、兄貴も少年院いってた時に、こいつだけ俺んちで朝飯食ってて。意味わかんないじゃないですか(笑)。誰が子供で誰が子供じゃねーかわかんねーみたいな」(BADSAIKUSH)

2000年代頃には暴走族は下火になっていたが、中学で地元の暴走族に入った2人。

(左)DELTA9KID(右)BADSAI

(左)DELTA9KID(右)BADSAI

「もう族とか終わってた時代だから間(の世代)がいなくて、俺らの上は四つ上のハードな先輩たち。その人らに育てられたんですよ」(BADSAIKUSH)

中3の頃からすでに車を持っていたというBADSAIとDELTAは、群馬・伊勢崎のラブホ街で、高校生の女性と3人、援交狩りを繰り返して荒稼ぎをしていた。

ガラケー時代、一世を風靡した出会い系サイト「スター・ビーチ」。2009年にサービスを終了させるが、2003年頃は最後の全盛期だった。

「ナンシーが『俺も一枚噛みたい』って声かけてきて。出会いは音楽とかじゃないんすよ、普通に犯罪です。

犯罪する時って、そいつがどんだけヤるかわかるじゃないっすか。そんなにヤレるやつとも思えなかったけど、別に先輩ヅラもしてこないし友達みたいな感じで、そん時にはナンシーはラップもやってて悪くなかったから付き合ってた」(BADSAIKUSH)

それがきっかけで、後にBADSAIとDELTAの2人も49に所属することになる。

49は、ラッパーはもちろん、チケットをさばく部隊や旧車會など無数の集団で形成されていた。

別の中学だったが地元の溜まり場・イトーヨーカドーでも顔馴染みの友達だったG PLANTSと合流、レゲエに傾倒していたDELTAもそのうちにラップを始めるようになった。それが2009年の初め頃のことだ。

それから半年。彼ら全員の大きな岐路となる、2009年6月3日を迎えることになる。

2009年6月3日。1.0.4の死、BADSAIとDELTA9KIDの逮捕

「本ちゃんもさばいたりしてたけど、絶対働かないってスタンスじゃなかったからたまに働いてて。でも、俺と広井(DELTA9KID)は犯罪しかしてこなかった」(BADSAIKUSH)

その日、いつものように窃盗車で金庫荒らしをしていたBADSAIとDELTA、そして一つ下の1.0.4(トシ)の3人。

時に首下げるストップウォッチ 計る105秒キッチリ 舐達麻『FLOATIN'』より

105秒とは、侵入してから警察がかけつけるまでの“猶予”の時間を指す。

FLOATIN' / 舐達麻 (prod.Green Assassin Dollar)

何度となく繰り返してきた犯罪も、いつしか緊張感は薄れルーティンとなる。

深夜2時45分。警察に追われた3人は、覆面を含むパトカー複数台に追われて140kmという猛スピードで道路を飛び出し左側のブロック塀に衝突。その反動で右側の塀まで弾き飛ばされて車は大破した。

運転していたのはDELTA、助手席にはBADSAI。後部座席にいた1.0.4は車外に投げ出され、全身強打で死亡した。

この日の出来事、1.0.4の存在は、舐達麻のリリックにも度々登場している。

R.I.P 1.0.4手合わせる3日舐達麻『契』

当時、この事件がどのような扱いだったか知るよしはないが、筆者が調べたところ報道された記事が確かに残っていた。それによると、運転手はその場から逃げるも同日早朝に出頭したとされている。

「その時は、1.0.4が死んだってことも知らなくて。とりあえず逃げたんですよ」。寡黙なDELTAが口を開く。

舐達麻

「仲間がどうなってようが、犯罪してる時は基本逃げますよ。死んでたら別だけど。俺は気絶してただけ」。意識を取り戻した時には警察に囲まれていたBADSAIは、逃げようとするも怪我をしていたためあえなく捕まる。

周囲を検分していた警察が「仲間の1人が死んでる。名前を教えろ」と迫るも、最初は信じていなかったという。

近くの民家に隠れていたDELTAは、迎えにきたG PLANTSとナンシーの車に乗り込んで匿ってもらっていた。しかし、探りを入れていた仲間たちから1.0.4が死んだことが伝えられると家に帰り、その足で母と兄に付き添われて出頭した。

「思い出すとかじゃないけど、1時04分とかに(頭を)よぎったり」(DELTA9KID)

「昔話をするたびに、(1.0.4の)お母さんに会うたびに出てくる」(G PLANTS)

「ここにいたはずだから。でも死んじゃって。もう、家族以上の存在になっちゃうんですよ」(BADSAIKUSH)

生前の1.0.4

生前の1.0.4

自動車運転過失致死傷と道路交通法違反、窃盗…余罪が重なっていく。

19歳だったBADSAIは少年院に1年収容され、一足先に20歳になっていたDELTAは刑務所で4年服役することになる。

舐達麻が結成されるのは、2人がいないこの時期のことだった。

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舐達麻の結成前夜