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  • 2021.03.05

『呪術廻戦』虎杖悠二の選択——ニーチェ的「超人」と呪術師たちの実存

「わたしはあなたがたに超人を教えよう。人間は克服されなければならない或物なのだ。あなたがたは人間を克服するために、何をしたというのか?(中略)人間から見れば、猿は何だろう? 哄笑の種か、あるいは恥辱の痛みを覚えさせるものだ。超人から見たとき、人間はまさにそうしたものになるはずなのだ。哄笑の種か、あるいは恥辱の痛みに」

(岩波文庫 ニーチェ著『ツァラトゥストラはこう言った 上』第一部より)

『呪術廻戦』虎杖悠二の選択——ニーチェ的「超人」と呪術師たちの実存

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よくいわれるように『呪術廻戦』は、ジャンプ漫画の遺伝子の集大成のような作品です。

例えば、自分の能力の説明をすることで能力の底上げを図る「術式開示」という設定があります。メタ的な見方ですが、バトル漫画の多いジャンプにおいて本来デメリットである「自身の能力を説明すること」をメリットに変えた非常に良くできた設定です。リスペクト元であることで知られる『HUNTER×HUNTER』ではリスクをバネにする「制約と誓約」として設定されていますね。

他にも主人公の中に異なる人格が宿っていること(『NARUTO』や『ヒカルの碁』、ある意味では『DEATH NOTE』など)や、必殺技の「領域展開」が場そのものを支配するものであること(『BLEACH』など)や、そもそも「能力バトルで心理戦をする」こと(『ジョジョの奇妙な冒険』が元祖かと思われます)など、細かい例を挙げるとキリがありません。

……なのですが、本記事ではそういう表面的なリスペクトやオマージュへの言及は置いておき、もっと『呪術廻戦』という作品の根幹にある部分、ジャンプ漫画としての「弱きを助け強きを挫く」世界観とそのアンチテーゼについて、ニーチェという哲学者を介して考えていきたいと思います。

目次

  1. いい人とは何か──「弱者こそ善である」というキリスト教的倫理観
  2. 「神は死んだ」──絶対的価値と存在の喪失
  3. 「呪い」というルサンチマン、「呪術師」という超人
  4. 『呪術廻戦』の、最もグロテスクな部分
  5. 『呪術廻戦』における神──五条悟の死について
  6. 大統領選で露呈した「正しいかどうかよりも優先される動機」
  7. ニーチェ的でありながら、利他的である虎杖悠二に迫られる選択

いい人とは何か──「弱者こそ善である」というキリスト教的倫理観

ドイツの思想家であるフリードニヒ・ニーチェ(1844年〜1900年)は、かつてヨーロッパを支配していたキリスト教的価値観を全否定した哲学者です。

キリスト教的価値観とは具体的に何か。

一つは隣人愛、すなわち「自分を愛するように他人を愛する」こと、「弱者を救うのはいいことだ」という道徳的規範です。「弱者を救うことを否定」と書くととんでもないことを言ってる風に聞こえてしまうので、少し解説させて下さい。

例えば「いい車」とは何かを考えてみます。カッコいい、燃費がよい、丈夫である……など色々あると思いますが、要するに能力的に優れているものです。

では「いい人」とはどんな人か。頭がいい、運動ができる、お金持ちである……など人間の性能としてプラスの部分はなぜか「いい人」という評価と直結しません。むしろ力があること≒権力者は世間的に「悪い」というイメージを持たれたり、「他人(弱者)に優しい人はいい人だ」など、能力とは別の評価軸が適用されたりします

なぜ人間の道徳に限ってこのような価値観の逆転が起きるのか。ニーチェはこの起源をキリスト教の前身であるユダヤ教に見出しました。

紀元前15世紀エジプト軍に奴隷として連れ去られてから、20世紀ナチス・ドイツのホロコーストに至るまで、ユダヤ人の歴史は迫害や差別と共にありました。その不遇な歴史は「こんなにも苦しい思いをしている我々はいつか神によって救われるだろう」「我々を苦しめる悪い(強い)奴らにはいつか裁きが下されるだろう」という信仰を生み出しました。

強者への恨みや妬み、ニーチェはこれをルサンチマンと呼び、このルサンチマンこそが「弱者は善である」というキリスト教的倫理観の起源であると指摘しました。

ルサンチマンを持つ者は強者への憎しみの感情を反芻し、自分を正当化するばかりで、実際には力がないので何もできない、自ら弱者に留まっているという批判ですね。

「神は死んだ」──絶対的価値と存在の喪失

そしてニーチェが否定したもう一つのキリスト教的価値観は、「神は死んだ」という有名な言葉にもある通り「神を信じる者(ユダヤ教的に言うと律法を守る者)は救われる」という幻想です。

そもそもの問題として、ニーチェが生きた時代ではガリレオの地動説、ニュートンの万有引力やダーウィンの進化論などがすでに発表され、近代科学の台頭により「神」は着実に死につつありました。

「神の死」とは何か。それはキリスト教的権威の失墜という側面もありますが、絶対的存在の否定、これまでヨーロッパで信じられていた「神のために生きる」という価値基準の喪失という側面が大きいです。

何のために生きているのか分からない、何をやっても意味がない、彼はそのような事態をニヒリズムと呼び、キリスト教の教えそれ自体がニヒリズムを内包していると批判しました。

神が死に、あらゆるものが無価値ならば、人々はいったい何を指針にどうやって生きればいいのか。それを示したのが冒頭で引用した『ツァラトゥストラはこう言った』という作品でした。

ツァラトゥストラはこう言った.jpg

Friedrich Nietzsche『ツァラトゥストラはこう言った 上』(岩波文庫 青 639-2)文庫

画像はAmazon.jpより

ツァラトゥストラという名前は世界最古の宗教(キリスト教以前!)とされるゾロアスター教の開祖であり、山に籠もっていた彼が自分の思想を民衆に説教するために町に下りてくる、という設定の啓示的物語です。

ニヒリズムを回避するための思想とは何か。それはむしろ、ニヒリズムを徹底することでした。

徹底的なニヒリズム、それは全てのものが無意味であるだけでなく、この宇宙のあらゆるものは永遠に同じ出来事を繰り返しており、始まりも終わりもない。これを永遠回帰(永劫回帰)といいます。

そんな究極に無価値な世界で、それでもなお価値を創造する者、ルサンチマンに捉われることなく強さを求め、同じことを何度も繰り返す運命を受け入れ、生きることを肯定する者。これを超人と呼びました。

「呪い」というルサンチマン、「呪術師」という超人

……少し長くなってしまいましたが、以上がニーチェの思想の概略になります。

読んでいただいたら分かる通り、非常に難解な上にめちゃくちゃです。当たり前ですが永遠回帰に科学的な根拠はありませんし、超人思想も現実離れしている印象を受けます。そもそも、弱者を助けることを是とした利他主義を否定することに違和感を覚える人は多いと思います(現に1950年あたりまでは、ファシズムに影響を与えた人物として批判されていたそうです)。

さて、ここからが本題です。『呪術廻戦』を、今まで説明したニーチェの言葉で翻訳します。

「呪い」はルサンチマン。
「呪術師(呪詛師)」「特級呪霊」は超人。
「非術師」は弱者(民衆)。
そして「五条悟」が神です。

順番に説明していきたいと思うのですが、前提として『呪術廻戦』には第1話から明確なテーマが提示されています。

それは「人を助けるとはどういうことか」ということです。

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